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設計者の想いの日々(ブログ)すべて茶道の稽古を始めて7年半…茶道の稽古を始めて7年半が経過しようとしています。 和の素養は5〜10年で培えるものでもないことを身体で感じております。 茶道に限らず、華道、そして日本建築の分野、その他なんでもそうだと思いますが、連綿と引き継がれてきた日本の伝統性の奥義を究めようとしても、俗物根性の技術論を振り回すことに終始したり、あるいは上辺だけの模倣だけで終わってしまっては、単なるファッション性の域を出ないと思います。 ではどうしたらいいのか? 焦っても仕方ないのです。 着実にも自分なりに消化して、拙いなりにも自分自身を磨いて、自己実現を図っていくことに焦ってはならないのでしょう。 そのためには健康第一で頑張っていきたいと思います。
床の間についての質疑応答
少し前になりますが、鈴木さんという女性から「床の間」について質疑がありまして、そのやりとりをそのまま掲載します。
鈴木さんwrote はじめまして、鈴木と申します。 床の間の記事を拝見しました。 設計のご相談ではないので、申し訳なく思いつつ、床の間の衰退時期をご存じでしたら教えていただきたくお願いします。 床の間が衰退し始めたのは何年ごろからなのか、インターネットで調べていて御社のHPを拝見しました。 科学的では実証されないお話ですが、 床の間は、漢字をみると、寝床の床の間である。 とすると夫婦が床の間のある部屋を寝室とし、 そこに神様が降りたち、神様からの授かりものである子宝を授かる場所でもある。 と先日ある方からお話をきき、 近年の不妊と床の間の衰退期が重なると面白いなと思い調べています。 永井wrote このたびは当事務所にお問合せ頂き有難うございます。 またご連絡が遅くなりましたことお詫び申し上げます。 私が建築業界に入りまして約25年程経ちますが 年々、床の間の需要が減っていくのが肌に感じてわかります。 床の間を図面に記載しても収納にして欲しい等の要望も増えてきました。 床の間に象徴されるような日本文化が明らかに衰退し始めたのは戦後になってからのように思います。 戦後の合理主義の発展が次第に床の間の衰退につながり、 バブル崩壊後、床の間の衰退が顕著になったように感じます。 床の間を持つような精神的余裕というか、その意義を日本人が見出しにくくなったように感じます。 個人的には、葬儀を自宅ではなく、斎場で行うことが一般的になった時期と床の間の衰退時期が符合するのではないかと直観的に思っています。 つまりお客さんを自宅で盛大にもてなす機会が減ったことと関係があるのではないかということです。 しかしながら、統計のようなデータとなったのものが私には見つけられませんでしたので、確実にいつ頃から衰退し始めたのかを断定することが出来ません。 近年の不妊と床の間の衰退の相関関係については私はあるような気がしますし、また興味深く感じます。 私も勉強不足な点もあり、お役に立つ情報が提供出来ず心苦しいですが 以上、宜しくお願い致します。 鈴木さんwrote 床の間の衰退についてご丁寧にお返事をくださってありがとうございます。 合理主義と葬儀やお祝いなどの儀式が自宅で行われなくなったことも関係があるんですね。 とても参考になりました。 田舎育ちですので、子どものころと現代の著しい変化を肌で感じています。 このような質問に真摯にこたえていただき、本当にありがとうございました。 感謝を込めて。
郊外型大型ショッピングセンターを考える
ここ10年、郊外型大型ショッピングセンターが次々とオープンしてきました。本格的な人口減少を迎えようとしている時代に、「本当に大丈夫なの?」というのが私の偽らざる気持ちです。
案の定、イオンの業績不振が伝えられています。 ここで、イオンがなぜ経営不振に陥っているのかを素人なりに単純に考えてみました。(間違いがあったら指摘してください) 土浦イオンを例に挙げると その年間売上高は約200億、その商業施設面積は79682㎡(24,146坪) 坪数あたりの年間売上は828,300円。 セブンイレブンの1店舗あたりの平均売上高約2億3000万、その面積は約50坪、坪数あたりの年間売上は4,600,000円。 つまり、単純に比較して、面積あたり、セブンイレブンは土浦イオンの5.5倍の売り上げとなります。 次に水戸京成百貨店を比較の対象としてみます。 その年間売上高は約265億円、その商業施設面積は34000㎡(10,303坪) 但し、百貨店は外商の割合も多いので、売り場での年間売上高を巷間伝えられる150億とすれば、坪数あたりの年間売上は1,455,886円。 つまり、単純に比較して、面積あたり、水戸京成百貨店は土浦イオンの1.75倍の売り上げとなります。 イオンの駐車場は特に土日は停めるのに苦労するくらい満杯です。 とにかく人が入っているのは間違いない。 しかし、駐車場に戻る客に手ぶらに近い状況の者が非常に目に付くのです。 つまり単なる暇つぶし、冷やかしの者が多いということでしょう。 個人的見解ではイオンの飲食店を例に挙げると、没個性で美味しい店がないです。一事が万事、他の業種も同様、全国画一的というか没個性的です。 専門店ですら面白くないのに、「トップバリュー」など失笑物ではないでしょうか。 これから高齢化やネット社会が進むなかで、イオンのようなGMSは苦戦を益々強いられるでしょう。 (余談ですが、駐車場に戻ってきたとき、自分の車を探すのに苦労するのは私だけでしょうか?) というか、イオンのやっていることはかつてのダイエーと大差ないと思います。 そろそろ、イオンの焼畑商法が終焉したときのことを考える時期にきているのではないでしょうか。 環境負荷とコスト負担の大きい開発誘導型プロジェクトの時代は終わりつつあり、現在のストックを活用して、色添えしながら再生していく方向に舵取ることが必要であると私は考える次第です。
へたっぴ絵画~水彩画その2
近江八幡の町並み
この風景を描いてみました。
東京駅
国の重要文化財である東京駅は明治から大正にかけて活躍した建築家(東京帝大教授)である辰野金吾の設計によるものです。
先の大戦により被害を受け、3F部分が撤去されたままでしたが、2012年には無事、開業当時(1914年)の姿に復元されました。 また辰野金吾の教え子である駒杵勤治が明治末期に茨城県内で設計した校舎が土浦一高、太田一高、水戸商業高校の敷地内に現存しており、貴重な文化遺産であるにもかかわらず、PR不足のせいか、茨城県民にも知名度が低いのは残念です。 旧土浦中学校本館(現在土浦一高) 野いばら館(旧水戸商業高校本館玄関部分) 旧太田中学校講堂(現在太田一高)
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