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設計者の想いの日々(ブログ)当設計事務所の姿勢・信条イメージ戦略重視の時勢を憂慮する
現在、「…風」「…調」のキャッチフレーズで名付けられたイメージ戦略重視の家が巷では多く目立ちます。
自然の素材感を無視し、印刷技術を採り入れた窯業系サイディングの普及と多様化により、「木目調の家」、「塗り壁調の家」、「レンガタイル貼り風の家」、「コンクリート打ち放し風の家」、「南欧風の家」、「ブリティッシュ煉瓦調の家」、「イタリア風の家」、「プロバンス風の家」、「アーリーアメリカン調の家」、「北欧スタイルの家」、あるいは漠然と「輸入住宅風の家」などなど、百花繚乱、全くキリのない様相を呈しています。 私は例えば、ファッション的受容に終始する「イタリア風の家」には全く共感を覚えませんが、自分なりのアイデンティティを持ちながら、イタリアの文化と正面から向き合って、それを消化して、日本に「イタリア風」ならぬ「イタリア」の家を建てようとすることには、地域の風土や景観に問題を抱えたにしても、大きな異議は唱えていません。他国の文化にかぶれた結果として真似っぽくすることは簡単ですが、本当の意味で「真似」するということはその文化を吸収せずには甚だ難しいことだからです。 しかし、現在の日本人でそこまで覚悟を決めて、他国の文化を吸収しようとする者がどれだけいるのでしょうか?ファッション的受容に対して何の疑問を思っていない者が大半でしょう。表面的なイメージだけをキャッチして、本物の文化に触れようともしない者が建てる家は一過性のファッションに過ぎず、数年で飽きがくることは目に見えてまして、日本国憲法25条にある「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という条文にて、物質面ではなく、精神面での「文化的で最低限度の生活」を自ら放棄しているように感じます。 もし他文化に向き合う気概がないのであれば、知らず知らずのうちに慣れ親しんできた日本の「和」の文化の原点に戻ったほうが自然だと思います。 いずれにしましても、当設計事務所の方針としましては、先に述べたイメージ戦略重視ではない、自然の素材感を生かした、文化的価値のある建築を目指していきたいと考えています。 とは言えども、当事務所のお客様が最初からファッション的受容から逃れられているかと言えば、必ずしもそういうわけではありませんから、打合せを重ねて、当事務所の想いを少しずつ伝えていき、ご理解を深めて頂けるよう、常日頃、努めています。 かくいう当事務所を主宰する私自身もファッション的受容と完全に決別出来てるかと言えば、そうではないと思います。従いまして、私が仕事をするということは自分自身との格闘でもあります。
建築業界の素人化の波に逆行して欅(けやき)を手加工で造り、拭き漆で仕上げた「墨ツボ」です。 茨城出身で、現在は京都の工務店で腕を奮う、まだ30代の大工さんが造ったものです。 「墨ツボ」とは、材木や壁などに、墨で直線を引いたりする工具です。 現在建築業界では、大工、左官工事などの職人の手間を減らし、その一方で販売営業経費を増大させる傾向にあります。 私はそんな風潮に警鐘を鳴らし続けていますが、現状を鑑みるに、危機的状況に陥りつつあります。 木工事でいえば、これから大工が激減して、大工ならぬ木工組立職人だらけになり、新築の組立は出来ても、直せない、改修・リフォームが出来ない時代になりつつあるということです。 そのための打開案として、安そうに見えて意外と割高である既製品を使わない、構造材はプレカットでなく手刻みで行ってその結果として出来るだけ金物に頼らない、新建材でなく無垢材にこだわるなど、当設計事務所はこれからも出来うる限りの方策を打ち出していきたいと考えています。 現在の建築業界の素人化の波に逆行することが当設計事務所の指針の一つです。
初心に帰り基本に戻る私が7年前(当時39歳)の頃の現場の写真を偶然見つけました。 やはり若いですね。体重も10kg以上痩せてました(笑) 独立してまだ間もない頃で、実績もなく、事務所のHPもない状態でありながら、お客さんに恵まれ、高齢者や障害者などの福祉施設、店舗、事務所、住宅など切れ目なく受注できて、幸先良いスタートだったと思います。その後苦しい時期もありましたけど…(^_^;) その頃に比べると、現在は揺るぎない自分なりの思想というか、技術的なポリシーは持ち合わせていると思いますが、若さというか青さというか、少々ハングリーさに欠けているような気がします。 この写真を振り返ってみて、「初心に帰り基本に戻ること」が自分自身を見失わないため、また硬直化させないための大切な極意であるように今、ひしひしと感じています。
10年の節目を迎えて
お蔭様をもちまして、当設計事務所も10年の節目を迎えることが出来ました。
多くのお客様に恵まれ、関係される多くの皆様の支えがあったからこそ、苦しいことも何とか乗り越えることが出来たと思っています。 この場を借りて、感謝の意を申し上げます。 さて、2011年正月、当設計事務所は、下記の姿勢・信条を掲げました。 「貧乏を恐れず、自らの信条に反する仕事は一切行わない。 心に贅肉がつけば、臆病になり、平気で妥協するようになる。 妥協すれば、今までの蓄積は、台無しになるどころか 必ずや、将来への禍根を残す。 貧乏をしたところで、また、一から始めればいいだけのことだ。」 これからも、是が非でも、貫き通していきます。 また、理不尽な社会の形成に反旗を翻し、権力に臆することなく 当設計事務所の姿勢・信条をブログ、facebook等通じて、発信していきたいと考えていますので、今後とも、宜しくお願い致します。
近代建築の呪縛から脱して
「過去のものといえども、真に価値あるものは、常に新しさを含んでいる。」
大正から昭和にかけて活躍した思想家・美学者・宗教哲学者である柳宗悦の言葉です。 ここ最近、私自身、歴史的建造物や旧い街並みを見て回り、その成果として、ブログに取り上げているのは、「旧きものからの刺激・発見」が夥しい状況にあるからです。 「"新しさ"ばかりを追求するのは、商品の生産者にすぎない。」 イタリアのデザインの巨匠であるエンツォ・マーリが述べる通り、私自身、例えば、商品的な住宅展示場や自称建築家の先鋭的?作品から刺激を得ることは、現時点で殆どありません。また近代合理性を重んじたビルディングからもインスプレーションを受けることも殆どありません。 そもそも「近代建築」は、鉄・コンクリート・ガラスの三大材料により発展を遂げ、無国籍ともいえる「白い豆腐のような箱」と揶揄される建築物を量産し続けました 。それを普遍的で美しくシンプル若しくはダイナミックなデザインと称し、地域性、固有の文化を蔑ろにしてきたのが「近代建築」の実態です。 確かに、「近代建築」の発展により、ヨーロッパを例に挙げれば、ゴシック・ルネサンス・バロックなどの様式や宗教の権威から解き放たれ、構造的にも石造・レンガ造から離れて、自由に発想できるようになったのは確かです。(その後ポストモダンなる潮流もありましたが、近代建築の域から出たとは言えないでしょう。) ただ日本人としての私自身の考え方としては、「創造性は制約から生まれる」と考えています。地域性、日本の伝統文化を蔑ろにすることを「自由」と履き違えような考え方を持つことは出来ません。 話は少々ずれますが、いわゆる現在の「グローバルスタンダード」と呼ばれるものが、人類の数々の虐殺の歴史のうえに成り立ってきた側面は否定できないと思います。もちろん人間に対する虐殺・搾取だけではなく、固有の文化への軽視・冒涜、宗教弾圧、自然環境に対する破壊も広義的には虐殺に含まれます。また「グローバルスタンダード」も「近代建築」もその根源は相通ずるものであることを我々建築に携わる人間は決して忘れてならないのです。 かと言って、歴史的建造物を視察して刺激を受けたから、その時代に戻る、あるいはその当時そのままを真似しようとも思っていません。やはり時代背景が違いますからね…。また、「温故知新」という言葉に酔って終わりたくもありません。 「語るよりも造れ」というドイツの作家・ゲーテの言う通り、実際に形にしていくことが何より大事であると、現在の私は考えている次第です。
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