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設計者の想いの日々(ブログ)茨城県南の町並み・建築・施設探訪・自然・文化土浦の町並み
土浦市は、先の戦災で焼けることがなかったため、古い建物が多く残されています。
土浦まちかど蔵は旧水戸街道に位置し、江戸末期から明治初期に建てられました。現在は全て土浦市の所有です。東日本大震災により甚大な被害を蒙りましたが、昨年6月、修復工事を終えました。 土浦まちかど蔵「野村」 土浦まちかど蔵「大徳」 土浦まちかど蔵「レンガ蔵」 亀城公園は、かつての土浦城の本丸と二の丸の一部を整備した公園で、春には、桜があちこちで咲き誇ります。 亀城公園・櫓門(やぐらもん) 亀城公園・東櫓(ひがしやぐら) 茨城県指定文化財・矢口家住宅 現在、修復工事中です。完成は4~5年後の予定です。
旧土浦中学校本館
旧土浦中学校本館(現在土浦一高)
1904年に建築された旧土浦中学校の本館は、国の指定重要文化財です。 設計者は、東京駅や日本銀行本店を設計した辰野金吾の弟子である駒杵勤治で、木造で建築され、平面は凹字型、左右対象をなし、建築様式はゴシック風のものです。現在も学校の用途として一部、生徒に活用されており、構造的な大規模修理が一度もされていないにもかかわらず、東日本大震災の損傷も軽微で済みました。 ガラスは当時のままで、現代のような量産工程で造られたものでなく、手漉きのガラスです。 屋根は宮城県産の雄勝石で葺かれていましたが、経年劣化により、昭和40年代に、彩色石綿セメント板、俗に言うスレート瓦に葺きかえられています。重要文化財としての観点からすれば、この点が一番残念なところです。 旧土浦中学校時代の机を復元し、往時の教室の雰囲気をよみがえらせています。
旧矢中龍次郎邸
つくば市北条にある国の登録有形文化財に登録されている「旧矢中龍次郎邸」です。
地元(つくば市北条)では、「矢中御殿」とも呼ばれています。 セメント防水剤 「マノール」の発明者である矢中龍次郎氏により、昭和13年~28年にかけて、建築された木造の近代和風住宅です。 矢中龍次郎氏が亡くなってから40年間、空き家となり、荒れ放題だった矢中邸ですが、つくば市北条でまちづくりに参加していた筑波大生が中心となって2010年に設立されたNPO 法人“矢中の杜”の守り人が、現在、維持管理を行っています。 つくば市北条は今年5月竜巻に見舞われましたが、幸い、「旧矢中邸」は軽微な被害で済みました。 約770坪の広大な敷地に本館(居住棟)、別館(迎賓棟)などの建物が現存し、その周囲に庭園が広がっています。 愛媛県の伊予の青石、佐渡の赤石、鉄さび色の風合の京都の鞍馬石など全国の名石が集められた贅を凝らした庭園です。 極めて希少価値のある「モミジ」の床柱を使用した床の間です。その木目の美しさは、目を瞠るものがあります。 昭和初期の質感を感じさせる和洋折衷の空間です。「皇族が休息できる迎賓空間」を造ることが矢中氏のコンセプトにあったようです。 「過去のものといえども、真に価値あるものは、常に新しさを含んでいる。」 柳宗悦
土浦まちかど蔵「レンガ蔵」土浦まちかど蔵「レンガ蔵」~明治25年建築 この「レンガ蔵」は、現在、土浦市が所有、喫茶店として利用されています。 去年の震災で、大きな被害を受け、一度取り壊しが決定されましたが、その後、一転、修復保存工事が行われ、今年6月末、営業を再開しました。 約5,000本のステンレスピンでレンガ壁を固定し、建物内部に鉄骨軸組を組み立て、レンガ壁に掛かる屋根の荷重を軽減した工事が行われたようです。 明治時代のレンガは、お世辞にも質が良いものとは言えず、非常に脆いレンガが多いのが正直なところで、そんな脆いレンガにステンレスのピンを打ち込むために穴を開けるような工事には賛同出来かねます。 このレンガ造ですが、明治に入って、ヨーロッパの真似事から始まったようですが、地震大国の日本では、問題が多過ぎますので、現在、新築で建つことはありません。 地震のほとんどないヨーロッパ地域で普及した工法を、地震の多い日本に持ち込む行為は、現在の視点から考慮すると「愚の骨頂」という意見は多々あります。 この「レンガ蔵」が私的利用ならまだしも、公の所有で、不特定多数のお客さんが出入りする「喫茶室」の利用は、大きな問題を抱えています。 今回、地震が起きたらすぐ逃げ出そうという態勢で、この「レンガ蔵」に入ってみましたが、「安全の確保」から程遠いというのが私の感想です。 歴史的建造物を修復・保存しながら活用していくことは非常に賛成なのですが、この「レンガ蔵」は、日本人の「新し物好き」の習性から造られたものであり、たまたま残存していた「遺構」を公的利用することに対しては、残念ながら、反対せざるをえません。 とは言っても、「レンガ蔵」が建築的に素晴らしいと、私自身、率直に感じているのも否めない事実です。
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