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設計者の想いの日々(ブログ)会津若松の町並み~七日町・野口英世青春通り
会津若松市の七日町は、江戸時代、日光・越後・米沢街道が通り、会津藩の城下町の西の玄関口としての機能を担い、問屋や旅籠、料理屋が軒を連ねていました。明治以降も商店街として栄えましたが、昭和後期になると次第に衰退の一途を辿りました。
このような状況のなかで、地元の有志が立ち上がり、商業文化が息づく町並みを再生すべく、1994年に「七日町通りまちなみ協議会」が発足しました。七日町には明治から昭和初期の頃に建てられた歴史ある建物が多く残っていましたが、そのほとんどが外装を新建材で覆ったり、木製建具をアルミサッシに変えたりしていました。 そんな状況を打破し、城下町らしい伝統に忠実で特色ある商店街再生に尽力された結果、現在は会津若松を代表する観光地になるまで再生を果たしています。 野口英世青春通り この通りの名前の由来は、野口英世が幼少の頃、火傷の手術を受けた会陽医院の跡などが周辺に存在したことから、1992年に命名されました。その後、道路をレンガ敷きへの改修、電線地中化、野口英世の銅像などが置かれる野口英世青春広場の開設などが行われました。 會津あずき茶 「あずき御前」 「あずき」本来の旨みが独自の製法で引き出され、万年雪をたたえる飯豊連峰から長い時をかけ湧き出た天然水が融合した會津あずき茶 「あずき御前」はポリフェノ-ル豊富でノンカロリーです。 会津若松では、「カツ丼」といえば、ソースカツ丼が日常らしいです。
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