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設計者の想いの日々(ブログ)2013年9月6日(金)太宰治「正義と微笑」
太宰治「正義と微笑」より引用
「……代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。 植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。 何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。 カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記(あんき)している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならず むごいエゴイストだ。 学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強...の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。 勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。……」 勉強というもの学生時代のみならず、社会人になってからも励むものです。直接、自分の仕事に関わりある知識を習得しようとするだけでは、決して器量ある人間になることは出来ない。自らの仕事にあまり関わりないような分野にも素養を深めるように努力することは、今すぐに結果に結びつかないかもしれないが、10~20年後以降の自分自身の人格形成に大きな影響を与えるはずです。 勉強することで、細かい知識は一切忘れてしまったも構わない。そんなことはちょっと調べてわかることである。重要なのは、自分自身を耕し、種を蒔くことである。 そして、蒔いた種を促成栽培しようと焦ってはならない。不断の努力で、ふと気がついた時、自分自身の血肉になっていることが重要であることを太宰は教えてくれています。
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