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設計者の想いの日々(ブログ)2012年12月28日(金)「建築家」でなく一介の「設計者」として
当設計事務所は、自らが設計した建築物を「作品」と称することに対して、大きな違和感を覚えています。そして、自らを「建築家」と自称することにも、気恥ずかしさを感じるので、一介の「設計者」であると称しています。
当設計事務所の対極に位置する「アトリエ系」の設計事務所は、自らの設計した物件を「作品化」とすることにハングリー精神を持ち、自称建築家として、意匠的なエゴイスティックな追求に、日々、余念がありません。つまり、お客様の生活理念・使い勝手を犠牲にしてでも、自らのイメージした意匠性にこだわり続けます。例えば、彼らは、ファッサード(外観の正面のデザイン)を重視するあまり、トイレなどの水廻りの窓を設置しないようなことを平気で行います。 そして、彼らの自称「作品」に共通するのは、「作品」のワンパターン化と、日本の伝統文化の忌避、底の浅い「意匠性」、「生活感覚」の乏しさです。 有名建築家・安藤忠雄に憧れて、意匠的にRC造(鉄筋コンクリート造)で設計したいけど、コストの制約上、やむなく木造を採用しているという屈折感を持つ「建築家」も少なくありません。 また、「アトリエ」系の設計事務所は、建築家としてのエゴを追求するあまり、身から出た錆、受注率がとても低いです。 私自身、彼らのハングリー精神には見習うべきものが非常にあるとは考えています。 けれども、私は、実際にお金を出資するお客様の生活理念・使い勝手、言い換えると建物の実用性を犠牲にすることには大きな抵抗感を持っています。なぜなら、建築物は「芸術品」ではなく、「実用品」であるという確固たる信念を持っているからです。 芸術家とは、「文学・哲学」「絵画」「彫刻」「一部の陶芸品」などのような自己完結的な分野で能力が発揮されるべきであり、何千万、億単位のお金がかかる「建築」の分野で、「建築家」のエゴを追求されても、社会的損失は計り知れないと考えています。 今は亡き某有名建築家は、自らが設計した公共建築物が雨漏りした際、「雨漏りしても仕方がない意匠・構造なんだ」と述べたそうです。 建築物は、風雨を凌ぐのが基本中の基本であり、意匠性を追求するあまり、雨漏りしたのでは、本末転倒というものです。 当設計事務所は、建物としての「実用性」と、建築物としての「意匠性」は両立できると考えています。というか、それが「建築」の常識なのではないでしょうか。「実用性」を犠牲にするのは単なる怠慢に過ぎないのです。 実用的な条件・制約あるいは法的な制約から、「意匠性」を生み出そうとすることこそが、「設計者」の役割なのではないでしょうか。 (実用性=お客様の言いなりでは決してないこと、誤解されないで下さい) 自らが設計した建物を「作品」と呼ぶことに大きな抵抗があっても、やはり私自身が設計した建物には愛着はあります。その「愛着」をお客様と共有できることが、一介の「設計者」としての達成感であり、幸福であるように考える次第です。
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