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設計者の想いの日々(ブログ)すべて西山荘
茨城県常陸太田市にある「西山荘」は、水戸藩2代藩主である徳川光圀が家督を譲って、1690年から亡くなるまでの約10年間、移り住んだ隠居の地です。その後、「西山荘」は、1817年の野火により焼失した後、1819年、規模を1/3に縮小して再建されました。
光圀が始めた大日本史編纂事業は、神武天皇から後小松天皇までの百代の帝王の治世を漢文体で纏めたものであり、明治39年に完成した。この「大日本史編纂事業」が長年行われたことにより、水戸の「尊皇攘夷」の気風が培われたことは否定出来ないであろう。 2011年の東日本大震災により、「西山荘」は大きな被害を蒙り、現在、徳川家所有の森の材木を使用しながら、災害復旧工事中です。 「西山荘」は、御殿の大きさこそ42坪ですが、周辺の山林を含め約5万7千坪の敷地を有し、公益財団法人徳川ミュージアム(理事長・徳川 斉正氏・水戸徳川家15代当主)が所有・管理・運営しています。茨城県指定史跡。 守護宅 御殿
小美玉市小川地区の町並み
倉敷、長野の妻籠、奈良の橿原、京都祇園、金沢、喜多方、会津若松、川越、栃木市、千葉の佐原、秋田の角館、岡山の吹屋などに比較すれば、面白くないかもしれませんが、茨城にも景観整備によって化ける可能性がある地区も存在します。
今回は、小美玉市小川地区は取り上げます。 小川地区は、霞ヶ浦の北岸、園部川下流に位置し、江戸初期から内陸水路の重要な河岸として栄えました。小川河岸は水戸藩領から、園部川・霞ヶ浦を経て、佐原から利根川を遡り、関宿から江戸川に入って江戸浅草に達する内陸水路であり、小川は廻漕業を専業とする豪商も多かったようです。造り酒屋や醤油醸造元の建造物も景観に寄与するところは大きい。 小美玉市の前身である旧美野里町、旧小川町、旧玉里村は皆一様に文化センターなどのつまらない箱物を作りすぎました。作ってしまったものは仕方がないので有効活用すべく努力する必要はありますが、既存の町並みを生かして、まちを発展させることには努力を怠りました。旧小川地区については、20年前はもっと歴史的建造物があった筈で、時代の流れもあるかと思いますが、莫大な税金を投入して新しく作った箱物が機能している状況とは言うことが出来ない以上、失政の謗りは免れないかと思います。 霞ヶ浦を眺む~小美玉市玉里地区より
木村家住宅~かすみがうら市
木村家住宅(旅籠・皆川屋)~かすみがうら市下稲吉
かすみがうら市の旧水戸街道沿いの下稲吉は、江戸時代「稲吉宿」と呼ばれ、宿場として栄え、当時17軒の旅籠が軒を連ねていた。木村家住宅(旅籠・皆川屋)は江戸時代末期の建築である。 この旅籠には女郎が出入りしていた時代もあり、2階の客室の壁には、当時遊んでいた客の落書きが残っている。旧水戸街道に残る唯一の旅籠である。茨城県指定文化財。
つくば市北条・神郡(かんごおり)地区
北条・神郡(かんごおり)地区は筑波山の南側の麓に位置し、3代将軍・徳川家光が中禅寺堂社(現在の筑波山神社)を再建する際、資材運搬路が整備されて、それが「つくば道」という参詣道となり、その起点として北条地区は、門前町として繁栄し、農産物の集散地という役割をも担い、酒・醤油の醸造なども行われ、商家町としても発展した。東日本大震災や2012年に竜巻による被害を蒙ったが、2014年1月現在、北条地区だけでも、築50年以上の歴史的建造物が125棟あり、地区住民のまちづくりへの意識は高い。「つくば道」は「日本の道百選」として選定され、北条から「つくば道」を約10分ほど歩けば、神郡地区にも旧き良き町並みが残る。
北条ふれあい館(旧田村呉服店)大正時代建築 矢中の杜(旧矢中龍次郎邸)昭和初期建築 宮本家住宅は現存する8棟全てが国の登録有形文化財となっており、穀物蔵をコンサートホールとして利用するなど、地域の芸術文化の拠点としても活用されている。 江戸後期以降の建築。 北条の中心を走る道沿いに歴史的建造物が残る。 北条から「つくば道」を10分ほど歩いた神郡地区
栃木市の町並みPARTⅢ~嘉右衛門町・重要伝統的建造物群保存地区
京都から日光に至る「例幣使街道」の一部である「嘉右衛門町通り」は、PARTⅡでご紹介した「蔵の街大通り」の北側に位置し、平成24年7月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
東日本大震災による傷跡が深く、工事中まだ未修復の建造物も目立ちます。
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