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設計者の想いの日々(ブログ)すべて10年の節目を迎えて
お蔭様をもちまして、当設計事務所も10年の節目を迎えることが出来ました。
多くのお客様に恵まれ、関係される多くの皆様の支えがあったからこそ、苦しいことも何とか乗り越えることが出来たと思っています。 この場を借りて、感謝の意を申し上げます。 さて、2011年正月、当設計事務所は、下記の姿勢・信条を掲げました。 「貧乏を恐れず、自らの信条に反する仕事は一切行わない。 心に贅肉がつけば、臆病になり、平気で妥協するようになる。 妥協すれば、今までの蓄積は、台無しになるどころか 必ずや、将来への禍根を残す。 貧乏をしたところで、また、一から始めればいいだけのことだ。」 これからも、是が非でも、貫き通していきます。 また、理不尽な社会の形成に反旗を翻し、権力に臆することなく 当設計事務所の姿勢・信条をブログ、facebook等通じて、発信していきたいと考えていますので、今後とも、宜しくお願い致します。
起工式法要神道形式の場合は「地鎮祭」と呼びますが、仏式の場合は「起工式法要」と呼ぶのが正しいようです。 「地鎮祭」が工事を始めるにあたり、四方祓いやお神酒などで、土地の神さまを鎮め、工事の無事を祈願するのに対し、「起工式法要」は建築する運びとなったご縁に感謝することが主旨にある儀式です。工事が安全に行われ、良い建築を完成させることを建築主が仏前で誓う意味合いもあります。 地鎮祭では、「二礼二拍手一礼」の玉串奉奠(たまぐしほうてん)はなく、焼香台などが調えられます。 地鎮祭では、表書きの書き方は「初穂料」「玉串料」と書きますが、仏式では「御布施」が一般的です。 現在は圧倒的に神道形式の「地鎮祭」が多いですが、建築主の価値観によっては、仏式の「起工式法要」も見直されてもいいかとは思います。 但し、どこのお寺でも「起工式法要」を行っているわけではありませんので、事前にその確認は必要となります。
旧亀岡家住宅
福島県伊達市にある旧亀岡家住宅は、蚕種製造業を営み、福島県会議員、伊達崎村長などをつとめた亀岡正元氏によって明治30年に建てられた。延床面積は約200坪に及び、外観は洋館であるが、内部は書院造りを基調とした純和風である。黒柿、鉄刀木、花梨、紫檀、数千年経過した阿武隈川の埋もれ木など、銘木がふんだんに使用されており、欅(けやき)や杉材も多用されているが、厳選された材料ばかりである。障子の代わりに、当時貴重であったガラス戸が多用され、「亀岡」の名前にちなんで、床の間に亀の彫り物があったり、書院の格子が亀甲模様だったりするなど、非常に贅を凝らした造りとなっている。
旧亀岡家住宅は、正元氏の子孫の方から旧保原町に寄贈され、平成7年現在地に移築復元された。往時をそのままに、復元の精度は驚くほど高い。福島県指定文化財。
近代建築の呪縛から脱して
「過去のものといえども、真に価値あるものは、常に新しさを含んでいる。」
大正から昭和にかけて活躍した思想家・美学者・宗教哲学者である柳宗悦の言葉です。 ここ最近、私自身、歴史的建造物や旧い街並みを見て回り、その成果として、ブログに取り上げているのは、「旧きものからの刺激・発見」が夥しい状況にあるからです。 「"新しさ"ばかりを追求するのは、商品の生産者にすぎない。」 イタリアのデザインの巨匠であるエンツォ・マーリが述べる通り、私自身、例えば、商品的な住宅展示場や自称建築家の先鋭的?作品から刺激を得ることは、現時点で殆どありません。また近代合理性を重んじたビルディングからもインスプレーションを受けることも殆どありません。 そもそも「近代建築」は、鉄・コンクリート・ガラスの三大材料により発展を遂げ、無国籍ともいえる「白い豆腐のような箱」と揶揄される建築物を量産し続けました 。それを普遍的で美しくシンプル若しくはダイナミックなデザインと称し、地域性、固有の文化を蔑ろにしてきたのが「近代建築」の実態です。 確かに、「近代建築」の発展により、ヨーロッパを例に挙げれば、ゴシック・ルネサンス・バロックなどの様式や宗教の権威から解き放たれ、構造的にも石造・レンガ造から離れて、自由に発想できるようになったのは確かです。(その後ポストモダンなる潮流もありましたが、近代建築の域から出たとは言えないでしょう。) ただ日本人としての私自身の考え方としては、「創造性は制約から生まれる」と考えています。地域性、日本の伝統文化を蔑ろにすることを「自由」と履き違えような考え方を持つことは出来ません。 話は少々ずれますが、いわゆる現在の「グローバルスタンダード」と呼ばれるものが、人類の数々の虐殺の歴史のうえに成り立ってきた側面は否定できないと思います。もちろん人間に対する虐殺・搾取だけではなく、固有の文化への軽視・冒涜、宗教弾圧、自然環境に対する破壊も広義的には虐殺に含まれます。また「グローバルスタンダード」も「近代建築」もその根源は相通ずるものであることを我々建築に携わる人間は決して忘れてならないのです。 かと言って、歴史的建造物を視察して刺激を受けたから、その時代に戻る、あるいはその当時そのままを真似しようとも思っていません。やはり時代背景が違いますからね…。また、「温故知新」という言葉に酔って終わりたくもありません。 「語るよりも造れ」というドイツの作家・ゲーテの言う通り、実際に形にしていくことが何より大事であると、現在の私は考えている次第です。
旧篠原家住宅
宇都宮市街地に位置する旧家の一つである篠原家は、江戸時代から醤油醸造業や肥料商を営み、現在の主屋は、明治28年に建築されました。戦災により、主屋と石蔵3棟を残して、醤油醸造蔵や米蔵などの建物は焼失してしまいましたが、明治時代の豪商の姿を今日に伝える貴重な建造物となっており、国の重要文化財に指定されています。黒漆喰、大谷石で造られた主屋は戦災で大きな被害を蒙った宇都宮市で風格ある存在感を誇示しています。
主屋の大黒柱はケヤキで45cm角に及び、2Fの和室の床の間の床柱を兼ね、通し柱になっており、棟木まで達し、長さは11mを超えます。 2Fの和室の天井板は檜の一枚板です。ガラスは当時の手漉きのガラスのまま残されています。 江戸時代末期に建てられた「石蔵」と「文庫蔵」 「文庫蔵」は石造に見えるが木造で、外部に土を塗った後、大谷石を全面に貼り、石の目地部分を漆喰で仕上げています。 新蔵・明治28年建築
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