設計者の想いの日々(ブログ)
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永井昭夫
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川越の町並み・重要伝統的建造物群保存地区その2

今回は、川越を街歩きしてみて、目についた歴史的建造物をランダムにご紹介したいと思います。今回も全て早朝に撮影。

時の鐘
川越のシンボルとも言うべき建造物である。江戸時代初期、川越藩主が建造させたのが最初で、当時の庶民の時計代わりであった。1893年の川越の大火で焼失したが、その翌年に再建、6時、12時、15時、18時にそれぞれ時を告げています。


左側:舗やまわ(原家住宅) 右側:刃物商まちかん(宮岡家住宅)
ともに川越市の指定文化財で、明治の大火(1893年)の直後に建てられた。その豪壮さで、メインロードでは、ひときわ目を惹く建造物である。


大沢家住宅(画像いちばん左側)
2階の中央部にある印象的な格子は「土格子」であり、漆喰で塗り固められたものである。この「大沢家住宅」は1792年に建てられ、1893年の川越大火の焼失から免れ、川越最古の蔵造りであり、国の重要文化財に指定されている。


亀屋山崎茶店
千本格子をはめ込んだ京風の繊細なデザインとなっており、この店舗部分は、1893年の川越大火後に新築されたもので、隣接している煉瓦のアーチ門、煉瓦の塀は、明治時代の文明開化の頃の雰囲気を漂わせています。画像には写っていないが敷地奥には1850年の土蔵が残る。


松崎家住宅(松崎スポーツ店)
明治34年建築


亀屋
明治26年建築。見世蔵と袖蔵を併立させた袖蔵形式の蔵造りである。


荻野銅鐡店(おぎの どうてつてん)
1893年の大火直後に建てられた町屋造りの建物である。
カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2014年8月10日(日)

川越の町並み・重要伝統的建造物群保存地区その1

川越は戦災を免れ、江戸・明治時代からの歴史的建造物が集積する地域として知られ、年間600万人以上の観光客が訪れる街です。
江戸時代、川越藩は江戸の北の砦として重視され、非常に多くの家臣を擁し、徳川家に近い親藩・譜代の有力大名が配された。
江戸時代の川越の建造物は、江戸・日本橋の建造物が見本とされる。
川越は栃木市、千葉県佐原(香取市)とともに「小江戸」とも呼ばれる。
城下町で武蔵国の商工農の中心地であった川越は、江戸とは川越街道や新河岸川の舟運で結ばれ繁栄を極め、明治時代になってからも、埼玉県随一の商都・金融の中心地、米取引・穀物集散地として栄えた街である。1999年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

下記の写真は、川越のメインロードである「蔵づくりの町並み」と呼ばれる通りです。昼は車の交通量が非常に多く、観光客も多いため、撮影が非常に難しく、今回は早朝に撮影したものです。













カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2014年8月10日(日)

現在の建築士学科試験を憂慮する

先日、一級建築士学科試験の試験官でした。「建築法規」という科目では、建築基準法・消防法・都市計画法などの法令集の持ち込みが許可され、また法令集にアンダーライン、○印などの解説でない書き込みも許されます。
しかし、ドサクサに紛れて、解説、図解などの不正な書き込み、すなわちカンニング行為をする受験生が少数ながら存在します。不正が発覚すれば、さっさと退場処置にすればいいんですが、現時点では不正な書き込みを受験生に消させる処置に留まるケースがほとんどです。私のクラスでは25人中5人そのような不正が発覚しています。
こんな状況では、真面目にやっている周りの受験生に失礼であるばかりか、まぎれもなく、建築士という資格に対する冒涜行為です。
来年以降、このようなケースに対して毅然とした態度を取るよう、試験本部に働きかけたいと考えています。

建築基準法などの法令は、建築的な知識が身についていないとその理解は難しいですが、それに加えて、ある程度の国語力がないと読み下しは難しいです。
建築を職業とする者は、その場その場を切り抜ける口八丁手八丁の者が多く、文脈全体を理解することは総じて苦手で、枝葉末節にこだわり、それを拡大解釈して、肝心なことを忘れてしまうケースが非常に多いです。そして建築以外知らない者が多いため、視野が非常に狭いわけです。
このような者が建築に携わることは、建築主(施主)にとって悲劇であり、今の現況を打開するためにも、建築士の学科試験に「国語」や「一般教養」の科目も追加すべきであると私は考えています。
カテゴリ:建築雑感 2014年8月9日(土)

旧取手宿本陣・染野家住宅

取手宿は水戸街道の宿場町であり、染野家は本陣として大名が宿泊・休息する場として利用されていた。
染野家は取手の名主であり、味噌の醸造を営んでいた。現在、県の指定文化財となっている「染野家住宅」は1795年に建てられたものである。


  

「染野家住宅」の表門は1805年に建てられた。


取手宿は宿場町としてだけでなく、回船問屋が立ち並ぶ港町としても栄え、利根川に平行に町並みが形成され、江戸後期には200もの商店が軒を連ねた。
本陣のその周辺には、「新六本店」「田中酒造」「山中屋」「戸祭貞次郎商店」「金門酒造」の老舗店などの歴史的建造物が点在し、現在、「美し国・取手宿」として、そのブランド化を推進している。

「新六本店」


「田中酒造」
カテゴリ:茨城県南の町並み・建築・施設探訪・自然・文化 2014年7月23日(水)

旧宍戸城表門~笠間市土師(はじ)


旧宍戸城表門は、水戸藩の支藩である宍戸藩の陣屋表門であり、1858年に現在の旧友部町に建立され、明治時代初期に旧岩間町の現在地に移築されたものである。門の左手が居室、右手に物置をとる長屋門形式である。正面の冠木には、宍戸松平家の家紋が3個(桜材・黒漆塗・金箔押し)飾られる。茨城県指定文化財。
この門は、岩間街道沿いに位置し、江戸時代は、群馬県瀬戸井から古河・下妻・筑波・旧八郷町・旧岩間町・旧友部町を経由して水戸城下まで約112kmを結ぶ瀬戸井街道と呼ばれた、筑波詣を目的として整備された由緒ある街道沿いにある。筑波山は、江戸時代、江戸から見て鬼門(東北)方向に当たるとして、徳川家からの保護により、筑波詣が盛んに行われた経緯がある。
しかし、現在は当然ながら、そんな歴史的文脈は無視されて、旧宍戸城表門付近に残っていた古き良き佇まいも年月を経るにつれて、少しずつ失われつつある。
カテゴリ:茨城県央の町並み・建築・施設探訪・自然・文化 2014年7月12日(土)
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