設計者の想いの日々(ブログ)
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建築文化・伝統

打ち水

元来、日本の伝統的な風習として、「打ち水」というものがありました。毎朝、玄関先、庭先、道路に柄杓(ひしゃく)で水を撒くことで、いわゆる神道的な「清め」という意味と、実用的には、埃が立つのを防ぐ、夏の場合は涼を取るなどの意味合いで、長年、行われてきました。
茶道でも、亭主がお茶会を催すときに、準備が全て整って、お客様をお迎えしてもいい段階になると、玄関先に「打ち水」を行います。
長い歴史を持つ京都などの集落、あるいは老舗のお店などでは、だいぶ少なくなってきたかもしれませんが、「お客様への心遣い」の一つとして、現在でも、「打ち水」を習慣として行っているところもあるかと思います。
このように、日本で長い間根付いてきたものの、廃れてしまいつつある「打ち水」ですが、現在、見直されてきているようです。

政府としては地球温暖化対策として、東京などの都市部ではヒートアイランド対策として、「打ち水」を推奨しており、科学的にも気化熱による温度上昇抑制効果があって、これはあくまで試算ですが、東京23区内の約40%の約265平方キロメートルで打ち水を行えば、打ち水後の気温低下量は2 ~2.5 ℃程度になるという説もあるようで、たかが「打ち水」と言い切れない要素もあると思います。
この「打ち水」も朝夕の涼しい時間に行うと効果は持続しやすく、真昼の暑い時間に行うと、すぐ蒸発してしまって、かえって蒸し暑くなるようで、昔から朝に「打ち水」を行っていた風習は理にかなっていたと言えそうです。
近年の環境対策としての「打ち水」は水道水ではなく、お風呂の残り湯などを再利用して行ったり、水道局が下水再生水を無償提供するなど、複合的に環境問題を考慮して、環境に対する意識啓発を活発化させようという気運が時代の流れになりつつあるようです。

私個人としては、環境対策という側面ばかりでなく、日本の長い間の風習としての「打ち水」を見直して、日本の伝統を守っていくことにもっと主眼を置いたほうがいいのではないかと思います。正直に言えば、少なくとも玄関先では、再生水でなく、きれいな水道水を使って、心遣いとしての「打ち水」を習慣づけたいと私は考えています。
カテゴリ:建築文化・伝統 2010年8月29日(日)

陶芸と建築

先日、笠間の陶炎祭に行ってきました。特に陶芸品が欲しかったわけではなく、「もの」を見る眼を少しでも養っておきたかったことと、歩き回ることで運動不足解消にはなるだろうという魂胆で、無数と言っていい位の陶芸品を見て回りました。
そして、「物造り」という観点から見て、陶芸と建築の世界は全く同じではないにしても、相通じるものがあるなと改めて痛感しました。

陶芸品は丁寧に扱っていれば、丈夫で長持ちで機能的でないと実用品にはなりえません。また、実用にプラスαの要素も必要です。お皿であれば、食材を盛り付けしたときに美味しそうに美しく映えるようなお皿のほうが食生活は充実します。花瓶であれば、花の美しさを引き立たせて、かつ、花と花瓶が渾然一体と調和したほうが憩いの自然空間を演出することができます。煎茶碗や抹茶碗は束の間の安らぎを与えてくれるような、そして緑色のお茶と渾然一体になるような、質素であっても創意工夫のある茶碗のほうが心からお客様をもてなすことができると思います。
機械化されたとは言っても、陶芸品は人間が作るものですから、心がこもっています。そして、陶芸品を作る陶芸家の個性が自然と現れています。食器、花瓶、茶碗等、形の違うものを作っても、やはり作風が現れます。
引き出しが多く、作品に奥行きのある陶芸家はバリエーション豊富な陶芸品を作っていても、根底に流れている基本トーンは決してぶれることがなく、見る者の心を強く惹きつけます。
陶芸品を作るにあたっては、基本的には実用品ですから、完全に自由なはずはなく、機能性も求められますし、原料となる粘土や窯の状況などにも制限されていくと思います。
そんな制約された条件のなかでも、自然と作者の個性が現れることは「物造り」の醍醐味に尽きると私は思います。

翻って、建築の世界はどうでしょうか。
やはり陶芸と同じで、丈夫で長持ちして、機能性があり、お客様のニーズに合ったものを実用品として提供しないといけません。
もう昔の話ですが、左手がやや不自由な方に、私はご飯の茶碗を贈ったことがあります。どうも茶碗の高さが1~2cm高かったようで、後々に、使いにくかった様子である実際の現場を拝見して、やはり建築の「設計」と一緒で、何事も細心の注意を払わないと迷惑をかけてしまう結果に終わるんだなと反省した次第です。
建物を設計するにあたっては、100人100様のお客様の具体的なお話をお聞きし、敷地の条件を考慮して、さらにお客様のご予算や今後の生活設計に基づいた唯一無二の提案をさせていただき、相当な打合時間をかけて行われます。同じ間取り・外観になったことは、少なくとも私がこの業界に入ってから経験がありません。
しかし、諸条件により100通り、1000通りのパターンが出来たとしても、根底に流れている基本トーンは決してぶれることがないように心がけていかなければならないと思います。
言い換えれば、私の信念は変えてはいけないということです。このことはとても優れた陶芸家の作品を見て強く思いました。
さまざまなお客様に対応できる多くの引き出しや奥行きを持ちながら、例えば、和風であろうが、洋風であろうが、モダン風であろうが、何でもありの状況のなかでも、根底に流れている私なりの信念が自然と輪郭として現れてくるような仕事をさせていただきたいと考えています。


追記
「陶炎祭」という行事を通して、いわゆる陶芸という「物造り」に真摯に取り組んでいる陶芸家が茨城県内に多数いらっしゃる事実を改めて確認できたことは、建築という同じ「物造り」の世界にいる私をとても勇気づけてくれました。「物造り」という伝統を後世に残す努力を今後もしていきたいと思います。
カテゴリ:建築文化・伝統 2010年5月6日(木)
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