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設計者の想いの日々(ブログ)建築文化・伝統京都と茨城と建築家この画像は、京都の源光庵です。丸窓と角窓があって、丸窓が「悟りの窓」、角窓が「迷いの窓」と呼ばれています。建築物と自然が見事に融合した、日本の誇りとも言うべきこの画像を、どこかで見たことがある方々も多いことでしょう。 最近、震災後の諸事情で、なかなか京都に行くことができませんが、京都は日本文化の宝庫であって、かつ根源であり、京都から茨城に帰ってくると、京都との文化や県民性の違いに、がっかりすること、しばしです。京都と茨城(あるいは東京)では、時間の流れ方が違ってます。「短気は損気」、この言葉は、私自身も含め、茨城県人への戒めとして、重く受け止めるべきなのは間違いありません。 私の職業で言えば、今の建築家(設計士)は、自らの乏しい感性を妄信して酔っている方々が非常に多く、日本の伝統を敢えて忌避し、アーティスティック(artistic)な言葉や似非現代性に逃げている方々が多く散見されます。無数にある屋根の架け方一つまともにできず、プラモデル程度の模型作成や、スケッチと称するお絵描きなどで、芸術家気取りでいられる建築家と称する商売人は、京都にしばらく缶詰在住でもして、頭を冷やして一から出直すべきであると、私は思っています。 いくら日本のグローバル化が進んだとは言えども、日本の建築は日本の文化そのものであり、日本の伝統からは決して逃げることはできません。そして、建築とは決して芸術作品などではなく、とてもお金が必要な実用品であり、自己完結型の芸術を追い求めるならば、建築の世界から一刻も早く去るべきなのです。
和室の設え
先日、つくば市で行われた家造り展示会での、組立式和室の展示の様子
です。 和室の備品関係 produced by 永井昭夫
茶道具が完成しました
去年の末に製作を依頼された茶道具が完成しました。
これは、「竹違い棚(石州好)」と呼ばれるもので、江戸時代に書かれたと思われる図面を元に製作しました。 棚は、節の無い杉の赤身の材料で、地板の縁周りは、京都から取り寄せた晒し竹、棚を支える柱は、胡麻竹(錆竹)、中のスノコは、和歌山産の黒竹で造られています。 また、この茶道具は、収納しやすくするために、柱が取り外せるように出来ています。 縁周りの白い晒し竹の四隅の留めの部分の加工は非常に難しく、一度やり直しています。太さが微妙に違う丸い天然の材料を、隙間無く継なぎ合わせるのですから、工場加工では決して出来ません。熟練した人間の技術が必要です。 この図面を元に製作に取り掛かりました。 棚の左右の端部は「ハシハミ加工」といって、木目の方向を90度回転させた同じ杉の材料で押さえて、薄い棚が反ったりしないようにします。
茶道具を作る先日、江戸時代に書かれたと想定される図面を元に、茶道具の製作の監修のお仕事を承りました。この手の仕事は、誰でも出来るというものではなく、業者任せにすると、出来映えが思わしくなかったり、いくら費用がかかるのか、わかったものではありません。 いくらコストがかかってもいいのなら、良いものができるかもしれませんが、それでは面白くありません。創意工夫で知恵を絞って、お手頃価格で良いものを作ってこそ、意義があると私は思っています。お金は大事なものであり、それを生かすも殺すも、人次第なのです。 世の中、高級住宅と称されるものは、多く存在していますが、金額だけは高級住宅で中身は凡庸で、何も伝わってくるものが無かったり、あるいは、高価な材料を使っているのは非常にわかるのですが、お世辞にも趣味が良いとは言えない代物になっているようなことが頻繁に見受けられるのは、非常に残念なことです。 今回承った茶道具は、杉の無垢材と黒竹・晒し竹・胡麻竹(錆竹)だけで作ります。細部にわたって納まりを検討していきますので、実際に製作する大工職人にとっては大変な作業になるでしょう。 現在、大工も伝統技術の継承が危ぶまれていて、工場で出来上がってきたものを組み立てていくだけの「組立木工職人」に成り果てている者が主流になりつつある状況にあります。 「鉋(かんな)」や「のみ」などの道具を使って、荒木の状態からから加工して、綿密に造り上げていくのは、本来の大工の職域だったはずですが、時代の流れと合理化という名のもとに見捨てられようとしています。「組立木工職人」が幅を利かせ、本来の大工のあるべき姿である「加工職人」が希少価値になっていくのは、見るに忍びないものがあります。 今回の茶道具の製作も「組立木工職人」では出来ません。「加工職人」が「組立木工職人」に技術を継承するような機会を与えていく状況を作ることが、設計者の一人としての、私自身の使命であると考えています。
中秋の名月昨日は中秋の名月でした。偕楽園でもお月様の雲隠れが心配されるなか、「月見茶会」が催されていました。 元来、日本には自然を慈しむ文化があり、平安時代の頃から、十五夜には宴が行われ、歌を詠んで、池の水面に映る月を楽しむような風流さを持ち合わせていました。四季の変化に恵まれた日本には、四季折々の感性を育む背景があったと思います。 と同時に、台風や地震などの自然災害が多い日本では自然を畏怖する側面もあり、生きていくために五穀豊穣を祈って、各地に神社を造り、祭事を行って、地域社会を形成して、自然と共生する知恵を培っていったのではないかと思います。 いわゆる日本家屋も、意図せずとも、自然との共生や融合を主眼に置いて造られていました。木・紙・土・茅などの植物・石などの完全自然素材で出来た建築物は、しなやかでありながらも強靭な柳の木のような粘りのある造りで、自然と対抗するのではなく、自然の力を上手に逃がすような考え方で造られていました。 また、野の花を摘み、和室の床の間に「生け花」を飾ったりすることで、建物の内部に自然を取り込むことは日本の文化の一つであり、枯山水や池泉回遊のような日本庭園と日本家屋を融合・一体化することは、自然との共生を考慮して行われてきました。 このように、日本の伝統・文化は、「自然との共生」が必ず背景にあり、時代背景が変わった現代でも同様であると思いますが、建築の設計に携わる立場から申し上げれば、日本の伝統や文化は次第に損なわれているように思います。「住宅」が「日本家屋」から単なる「商品」に変質し、「住宅」を物理的に人間が住む「箱物」としか捉えない貧しい精神性が蔓延ってきているような気がしてなりません。 日本の伝統・文化の断続性を後世に引き継ぐことは我々、設計者としての使命であると私は考えています。
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