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設計者の想いの日々(ブログ)建築文化・伝統弘道館と西ノ内和紙
震災の災害復旧による昨年の弘道館の改修で、壁に茨城県産の「西ノ内和紙」が使用されているというガセネタが広く流布していますが、常陸大宮市・旧山方町の「西ノ内和紙」の生産元に念のため確認したところ、今回の改修では一枚たりとも弘道館側に卸していないとのことです。
但し、西ノ内和紙の生産元としては、震災復興のため弘道館側に「西ノ内和紙」の寄贈を打診しましたが、弘道館側に拒否された経緯はあります。 現在、弘道館の壁紙は全国的に普及する機械漉きの鳥の子和紙が貼られていますが、江戸末期の創建当時は水戸藩の専売品である西ノ内和紙が貼られていたはずです。 西ノ内和紙は、茨城県北地域の特産品である那須楮の樹皮繊維を原料とした手漉きの楮紙で、350年の歴史を持つ、伝統的な和紙です。 江戸時代には水戸藩の専売品として、広く愛好され、徳川光圀が編纂した『大日本史』も、この西ノ内和紙が使われてきた歴史があり、茨城県と国の無形文化財、また県の郷土工芸品に指定されています。 弘道館の昭和の大修理(昭和34年~38年)の際は、まだ弘道館は文化財に指定されていなかったので、大量生産品である鳥の子和紙に貼り替えられてもやむをえないことだと思います。 しかし、既に国の重要文化財に指定されている今回の平成の修理で、昭和の大修理を踏襲し、西ノ内和紙の生産元側の寄贈の申し出を拒否し、全国的に普及する和紙を使用したことは、致命的に、歴史的考証が足らなかった証左と言えるでしょう。 今回のケースは工事是正レベルであると私自身考える次第です。
土蔵改修工事~土壁・縦縄入れ
土壁の荒打ち工事が終わって、養生期間は約1か月、今度は「縦縄入れ」の工程に入ります。約3cm間隔で縦に藁縄を付けて、土壁を塗りこんでいきます。次回は横縄入れの工程に入ります。
この伝統的な昔ながらの土壁もその厚みや地方によって、その工程は様々のようです。
土蔵改修工事~土壁荒打ち土壁の下地の竹小舞を組み終わったら、今度は土壁を練り込んでいく「荒打ち」の作業に入ります。 土壁の材料は最低でも、一冬、藁を入れて寝かし、土壁を塗る直前にも藁を入れて撹拌した材料を使用します。 竹小舞を縛る藁縄が長めに伸びていますが、これを土壁に巻き込みます。土壁がコンクリートとしたら、藁縄は鉄筋の役割を果たします。 次の工程の土壁の付着が良くなるようにコテで跡を残す作業です。 次の世代のために、改修時期がわかるように百円玉を埋め込んでみます。 荒打ちの作業後、約一か月の養生期間に入り、次の土壁の工程に入ります。
復興した弘道館について考える
東日本大震災で被災した水戸市の弘道館が3月27日に完全復旧し、一般公開が再開されました。
国重要文化財に指定されている弘道館は幕末最大の藩校として、徳川斉昭が開校。震災により壁や屋根瓦などが崩れ落ち、復旧工事が進められてきました。 しかし、震災から復興し、弘道館が完全復旧した幕開けについては苦言を呈さざるをえません。 もう過ぎてしまったことなので、あれこれ煩く言いたくはないのですが、梅まつり期間だけでなく、こういうオープン時にこそ、床の間などに花を飾って色を添えるべきなんです。だいたい民間では、どこの店だって開店時くらいは花を飾るでしょう。 2011年以降、恒例となりつつある梅まつり期間時の弘道館及び好文亭の床の間の「いけばな展示」の企画によって、公務員の意識が少しは変わったとは買い被りかもしれませんが、茨城及び水戸の観光の振興のためには、文化的素養を身に付けた公務員がこれからは益々必要でしょう。 水戸に関しては、梅まつり期間中の弘道館及び好文亭の「いけばな展示」が、水戸市華道連合会によって、殆んどボランティアに近い形で行われています。私自身の想いとしては、歴史的建造物を剥製にして保存して公開するだけというのは私は反対で、せめてオープン時くらいは、がら空きの床の間に花を飾るのは常識であると考えています。それが建物の活用につながり、弘道館を訪れる方々への礼儀というものではないでしょうか。 私は数多くの文化財・歴史的建造物を見て回っておりますが、床の間に花を飾るのは日常的に行われています。 しかも弘道館は2011・3・11には「いけばな展示」が開催中で、中断せざるをえなくなった経緯があります。震災からの復興してのオープンですから、なおさら、花は飾られるべきだったでしょう。 ついでに言わせてもらえば、今回の弘道館の修理について、有識者による委員会により修復方針が決定されたようですが、私自身、不満が多いですね。 その具体例を挙げれば、弘道館の壁紙は全国的に普及する機械漉きの鳥の子和紙が貼られていますが、江戸末期の創建当時は水戸藩内の西の内和紙が貼られていたはずです。 弘道館の昭和の大修理(昭和34年~38年)の際は、まだ弘道館は文化財に指定されていなかったので、大量生産品である鳥の子和紙に貼り替えてもやむをえないことだと思いますが、既に重要文化財に指定されている今回の平成の修理で、昭和の修理を踏襲するのは、歴史的考証が足らなかった証左でしょう。予算がなかったという言い訳もあるでしょうが、それならそれでやり方はあります。 その他構造的な補強など技術的なことについても、私は疑問を感じておりますが、今回は割愛します。 今回、公務員の文化的教養性に言及しましたが、役所にも優秀な方は沢山います。しかし民間が「公」に圧力をかけることも必要です。「公」と「民」との間の交流と適度な刺激によって、我々も勉強になるし、優秀な公務員がさらにステップアップ出来るのではないかと私は考える次第です。
土蔵改修工事~土壁下地・竹小舞
桜川市真壁地区の築100年の土蔵の改修現場です。現代工法でなく、昔ながらの伝統的な改修工事です。外壁の土壁を撤去し、新しく竹で壁の下地をほぼ組み終わったところです。これから土壁を塗り、漆喰で仕上げます。14坪の土蔵の改修の工期は約2年に及びます。
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