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設計者の想いの日々(ブログ)2014年2月5日(水)近代建築の呪縛から脱して
「過去のものといえども、真に価値あるものは、常に新しさを含んでいる。」
大正から昭和にかけて活躍した思想家・美学者・宗教哲学者である柳宗悦の言葉です。 ここ最近、私自身、歴史的建造物や旧い街並みを見て回り、その成果として、ブログに取り上げているのは、「旧きものからの刺激・発見」が夥しい状況にあるからです。 「"新しさ"ばかりを追求するのは、商品の生産者にすぎない。」 イタリアのデザインの巨匠であるエンツォ・マーリが述べる通り、私自身、例えば、商品的な住宅展示場や自称建築家の先鋭的?作品から刺激を得ることは、現時点で殆どありません。また近代合理性を重んじたビルディングからもインスプレーションを受けることも殆どありません。 そもそも「近代建築」は、鉄・コンクリート・ガラスの三大材料により発展を遂げ、無国籍ともいえる「白い豆腐のような箱」と揶揄される建築物を量産し続けました 。それを普遍的で美しくシンプル若しくはダイナミックなデザインと称し、地域性、固有の文化を蔑ろにしてきたのが「近代建築」の実態です。 確かに、「近代建築」の発展により、ヨーロッパを例に挙げれば、ゴシック・ルネサンス・バロックなどの様式や宗教の権威から解き放たれ、構造的にも石造・レンガ造から離れて、自由に発想できるようになったのは確かです。(その後ポストモダンなる潮流もありましたが、近代建築の域から出たとは言えないでしょう。) ただ日本人としての私自身の考え方としては、「創造性は制約から生まれる」と考えています。地域性、日本の伝統文化を蔑ろにすることを「自由」と履き違えような考え方を持つことは出来ません。 話は少々ずれますが、いわゆる現在の「グローバルスタンダード」と呼ばれるものが、人類の数々の虐殺の歴史のうえに成り立ってきた側面は否定できないと思います。もちろん人間に対する虐殺・搾取だけではなく、固有の文化への軽視・冒涜、宗教弾圧、自然環境に対する破壊も広義的には虐殺に含まれます。また「グローバルスタンダード」も「近代建築」もその根源は相通ずるものであることを我々建築に携わる人間は決して忘れてならないのです。 かと言って、歴史的建造物を視察して刺激を受けたから、その時代に戻る、あるいはその当時そのままを真似しようとも思っていません。やはり時代背景が違いますからね…。また、「温故知新」という言葉に酔って終わりたくもありません。 「語るよりも造れ」というドイツの作家・ゲーテの言う通り、実際に形にしていくことが何より大事であると、現在の私は考えている次第です。
旧篠原家住宅
宇都宮市街地に位置する旧家の一つである篠原家は、江戸時代から醤油醸造業や肥料商を営み、現在の主屋は、明治28年に建築されました。戦災により、主屋と石蔵3棟を残して、醤油醸造蔵や米蔵などの建物は焼失してしまいましたが、明治時代の豪商の姿を今日に伝える貴重な建造物となっており、国の重要文化財に指定されています。黒漆喰、大谷石で造られた主屋は戦災で大きな被害を蒙った宇都宮市で風格ある存在感を誇示しています。
主屋の大黒柱はケヤキで45cm角に及び、2Fの和室の床の間の床柱を兼ね、通し柱になっており、棟木まで達し、長さは11mを超えます。 2Fの和室の天井板は檜の一枚板です。ガラスは当時の手漉きのガラスのまま残されています。 江戸時代末期に建てられた「石蔵」と「文庫蔵」 「文庫蔵」は石造に見えるが木造で、外部に土を塗った後、大谷石を全面に貼り、石の目地部分を漆喰で仕上げています。 新蔵・明治28年建築
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