カレンダーカテゴリすべて(435)当設計事務所の姿勢・信条(31)建築雑感(24)建築知識(22)建築構造・性能(17)建築文化・伝統(27)建築素材・材料(29)住宅・建築業界(18)建築設備(5)設計者の日常(33)工事監理・現場紹介(12)お知らせ・ご挨拶(23)建築士会での活動・広報(18)東日本大震災・竜巻・災害(21)東北・北海道の町並み・建築探訪(11)栃木県の町並み・建築探訪(14)関東の町並み・建築探訪(14)甲信越の町並み・建築探訪(1)京都の町並み・建築探訪(21)西日本の町並み・建築探訪(4)茨城県北の町並み・建築・施設探訪・自然・文化(13)茨城県央の町並み・建築・施設探訪・自然・文化(30)茨城県西の町並み・建築・施設探訪・自然・文化(8)茨城県南の町並み・建築・施設探訪・自然・文化(34)茨城県鹿行の町並み・建築・施設探訪・自然・文化(5)最新記事アーカイブ
mail@nagai-sekkei.com
茨城県を中心として
活動している 設計事務所です。
対応エリア
水戸・ひたちなか・那珂・
|
設計者の想いの日々(ブログ)西山荘
茨城県常陸太田市にある「西山荘」は、水戸藩2代藩主である徳川光圀が家督を譲って、1690年から亡くなるまでの約10年間、移り住んだ隠居の地です。その後、「西山荘」は、1817年の野火により焼失した後、1819年、規模を1/3に縮小して再建されました。
光圀が始めた大日本史編纂事業は、神武天皇から後小松天皇までの百代の帝王の治世を漢文体で纏めたものであり、明治39年に完成した。この「大日本史編纂事業」が長年行われたことにより、水戸の「尊皇攘夷」の気風が培われたことは否定出来ないであろう。 2011年の東日本大震災により、「西山荘」は大きな被害を蒙り、現在、徳川家所有の森の材木を使用しながら、災害復旧工事中です。 「西山荘」は、御殿の大きさこそ42坪ですが、周辺の山林を含め約5万7千坪の敷地を有し、公益財団法人徳川ミュージアム(理事長・徳川 斉正氏・水戸徳川家15代当主)が所有・管理・運営しています。茨城県指定史跡。 守護宅 御殿
近い日にかかれた記事
|