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設計者の想いの日々(ブログ)すべて建築は芸術ではありません。
ニーチェ「さまざまな意見と箴言」より引用
「計画を立てるのはとても楽しく、快感をともなう。長期の旅行の計画を立てたり、自分の気に入るような家を想像したり、成功する仕事の計画を綿密に立てたり、人生の計画を立てたり、どれもこれもわくわくするし、夢や希望に満ちた作業だ。 しかし、楽しい計画づくりだけで人生は終始するわけではない。生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。そうでなければ、誰かの計画を実行するための手伝いをさせられることになる。 そして、実行が計画される段になると、さまざまな障碍、つまずき、憤懣、幻滅などが現れてくる。それらを一つずつ克服していくか、途中であきらめるしかない。 では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。こうすれば、楽しみながら計画を実行していける。」 哲学者の言葉で、私の建築設計・工事監理の仕事を説明すると、こういうことになると思います。これ以上でもこれ以下でもありません。夢があって現実がある。常に冷静さと情熱を兼ね備えて、平衡感覚を持ち続けることが設計者として重要です。建築は芸術ではありません。実用です。使われてこそ、経年変化に伴い、味が出てくるものです。 コスト管理もできず、雨漏りしても平気で開き直り、芸術性を云々する自称・建築家は一般の消費者や企業を巻き込まず、公共工事でも税金を無駄遣いしないような方法で、自らの夢を現実にして欲しいと思います。 かと云って、建築物は、いわゆる「商品」ということにも、決してなりません。特に住宅を「商品」的に扱うような風潮は、見るに忍びありません。
10月の茨城~平成22年
10月の茨城県各地の様子を掲載したいと思います。
筑波山を借景にした金木犀です。石岡市。 土浦市制70周年記念事業として、大相撲土浦場所が10月15日に開催されました。 当日、大関の日馬富士関とお会いする機会に恵まれました。 ひたち海浜公園では、ほうき草(コキア)の葉が紅く染まっていました。 ひたち海浜公園の秋桜が満開でした。 笠間稲荷神社では恒例の菊まつりが開催されています。 映画「桜田門外の変」のロケセットです。この映画は吉村昭の小説を元に、茨城県の市民団体が主体となり、地域振興を目的に実現、今月の半ばより上映中です。
真壁を考える
この10~20年で「真壁」の部屋が急速に減りました。「真壁」とは構造体である柱を化粧として見せる仕上げ方で、逆に柱を全て隠す壁の仕上げ方を「大壁」と言います。和室と云えば、壁の仕上げ方は「真壁」が一般的でしたが、むしろ、現在は「大壁」が主流となりつつある勢いです。「真壁」仕上げは大工の腕の見せ所であり、「大壁」よりもその技術は大きく問われます。
時代の変遷に伴って、価値観が多様化し、お客様の積極的な選択肢としての「大壁」であれば良いと思いますが、利益を優先する業者が「大壁」一本槍で物事を進め、「真壁」の選択肢をお客様に与えないような事態があるならば、それは憂慮すべきことだと思います。そして、「真壁」は和室だけの壁の仕上げ方では決してなく、洋間においても、積極的に採り入れて然るべき仕上げ方の一つです。洋間なら無条件に「大壁」という考え方は設計者として賛同できません。 「真壁」は木造らしさを真っ直ぐに表現しています。建築物が存続する限り存在する「柱」という自然素材と共生し、その経年変化を楽しむことができます。「柱」は呼吸すると同時に建築物を支えています。その力強く健気な姿を壁の中に隠してしまう選択肢ばかりを消費者に与えるのは、住宅業界の貧困さの現れであると、設計者の一人として考えています。 洋室の真壁の実例 和室の真壁の実例
高気密・高断熱住宅の功罪
鎌倉時代、吉田兼好は「徒然草」で、次のように書いています。
「家の作りようは、夏を旨とすべし。冬は、いかなるところにも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。」 さて、現代の住まい造りは、省エネの観点から、「高気密・高断熱化」が時代の申し子のように叫ばれています。果たして、本当に「高気密・高断熱化」の住宅が省エネ対策に有効なのでしょうか? 「断熱」とは文字通り、熱を遮断することで、夏は外部からの熱を遮断し、冬は内部の熱を外に漏らさない様にします。 これを逆の言い方にすれば、夏は内部の熱を外に漏らさないようにし、冬は外部からの熱を遮断するということになります。 現在の「高気密・高断熱」あるいは「中気密・中断熱」の住宅にお住まいの方で、夏場に部屋に熱がこもってしまう不快さ加減を経験していない方は皆無と言っていいでしょう。 けれども、「低気密・低断熱」である昔の家には、夏場に部屋に熱がこもるということは、あまりありません。 さらに、昔の古民家のように、庇が深い家は太陽高度の高い夏場の熱を遮る効果があり、「家の作りようは、夏を旨とすべし」の言葉を忠実に守っています。 対して、現在の住宅は総2F建に近い建物や庇の浅い建物が多く、夏の熱射線には全く無防備で、さらには風通しを設計上考慮しないことによって、熱が非常にこもり易い造りの家が多いようです。 このように、現在の住宅は、夏に関しては、「高気密・高断熱」の造りであろうが、昔の家と比較して、必ずしも省エネになっているとは言えないことがわかります。現在の夏の気候が、昔と比べて暑く感じるのは地球温暖化の影響だけでは決してなく、現在の建築物の造り方にも密接に関わっているように思います。 時代の流れによって、建築物の「高気密・高断熱」化は、これから益々進行していくと思いますが、設計者として、兼好法師の「家の作りようは、夏を旨とすべし」の言葉も忘れないようにしていきたいと私は考えています。 「高気密・高断熱」については、また別の機会に別の視点からお話したいと思います。
床の間を考える
ひたち海浜公園に移築復元された古民家の床の間です。
古来、日本の和室の床の間には掛け軸がかけられ、家人が花を生けて自然を採り込んで、来客の際にはお客様をもてなしていました。 しかし、そんな風習も現代では次第に薄れ、床の間が形骸化し、和室に床の間がない家も増えました。床の間の代替として、リビング・ホール・廊下などに飾り棚などのスペースを造ることもしない全く精神的余裕がない家が多い現実は、現代の貧困な住宅文化を象徴していると言っていいでしょう。現在と比較して、決して物質的に豊かではなかった昔の家の床の間には、日本の文化が息づいていました。 住宅が「日本家屋」から「商品」に変質し、「文化」より「利益」を優先するようになった今日この頃、一人の設計者として、喪失しつつあるものを復興していくのが私自身の役目であると考えています。
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