設計者の想いの日々(ブログ)
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住宅ローン

約10年ほど前の住宅ローンは住宅金融公庫からの借り入れが主流でした。日本の高度成長時代から2000年位まで、公の団体である金融公庫が、資金力がない個人のための住宅の整備を後押しし、公庫用の工事共通仕様書に則り、現場検査を行い、最低限の住宅の質の確保に努めました。もし金融公庫がなく、住宅の融資を全て民間に任せていたとしたら、特に高度経済成長時代、経済性を優先するあまり、モラルのない粗悪品の住宅が濫造されていたのではないかと推測されます。

このように、戦後、金融公庫が果たしてきた役割は重要だったと思いますが、その反面、「ゆとり返済」のように、借り入れから5年間は返済額を低く抑え、5年後から返済額が飛躍的に増える仕組みの返済方法は、高度成長時代ならまだしも、低成長時代には問題を多く抱えるものでした。
また、当初10年間は金利を低く抑えるものの、借り入れ10年後には金利が4%以上になってしまうのも、現在の情勢から考慮すると理不尽だと思います。
結局、住宅金融公庫が主流だった頃は、経済成長と年功序列に伴って給料は必ず上がっていくものという背景があったのでしょう。

さて、現在の情勢はどうなっているのか?
今後、日本は、人口の減少や高齢化、その他要因により、低成長から脱することは難しいことが予想され、長期金利も非常に低く設定されています。
各金融機関の住宅ローンの現在の金利は、景気の低迷と競争の激化ということがあり、金融機関や属性によっては、変動金利で1%、固定金利で2%以内で可能という情勢になっています。
このようななか、10年以上前に高い金利で住宅ローンを組んだ方は、現在の安い金利での借り換えをお勧めします。抵当権を再設定しなければならないなどの手続費用はかかりますが、残債がまだ多くあるようであれば、借り換えしたほうが返済額はずっと低く抑えられます。実際に借り換えする方は多いです。
また、以前と変わってきた傾向として、住宅ローンでは変動金利は安心感がなく消費者から嫌われ、少し前までは固定金利が主流でしたが、当面、長期金利が上がる要因が全く見当たらないことから、金利の安い変動金利の選択が多くなってきました。仮に金利が上がりそうだったら、固定金利に乗り換える方法もあるので、変動金利だからリスクがあるとは一概には言い切れないようです。

住宅金融公庫は小泉内閣時代に廃止の決定がされて、現在は、住宅金融支援機構に業務が引き継がれて、民間の金融機関と提携して、優良住宅取得支援制度として、金融機関の金利から10年間1%引き下げるフラット35S、長期優良住宅の認定を受けた住宅のローンの償還期間を50年にするフラット50などのような事業を行っています。
カテゴリ:建築知識 2010年10月2日(土)

数寄屋造りの家

数寄屋造りの建築物は千利休の頃の茶室を起源とするものから発展した建築様式で、その歴史は400年に及びます。
古い歴史的な茶室や贅を凝らした伝統的な様式美を真似することが数寄屋造りであるという誤解がどうも世間には生じていて、「最低でも坪80~100万はかかる、否、200万以上出さなければ本数寄屋とは言えない、京都の北山杉を使ってこそ数寄屋だ」というような薀蓄がまかり通っていますが、それは全て嘘八百であります。数寄屋造りとは伝統的な様式美に耽溺するものでなく、決して固定化されない、もっとフレキシブルなものであります。
伝統文化の一つである華道は、最大流派で550年の歴史を持つ「池坊」において、伝統と格式が重んじられているのは決して間違いではありませんが、この550年の「池坊」の伝統というものは新しいものが次から次へと生まれることによって造り上げられてきたものであって、伝統の様式美に耽溺するだけで終わっていたら、既に「池坊」は現代には無かったことでしょう。

前置きはこの辺にしておいて、私の考える数寄屋造りの定義をまとめてみました。

①四季の変化に富んだ日本の伝統的な風土を尊重してその精神性を引き継いでいること
②畳敷きのある和室と床の間があること
③屋根の庇を深くし、自然の光を採り込みながらも内部の空間に陰翳と静謐さをもたらすこと
④ハウスメーカーやビルダーによって商品化されることなどの要因により自由闊達さが失われてしまっていないこと
⑤外部的にも内部的にも自然との共生を図れること
⑥虚飾を排し、飽きのこない経年変化を楽しむ造りとすること

以上の要素を満たせば、数寄屋の建築物を設計することができると私は考えています。

数寄屋の起源と言われる千利休の頃の茶室は、当時何処でも手に入った材料で造られています。屋根は藁葺き、壁は土壁で荒壁のまま、床柱はその辺にいくらでもあった無価値に等しい曲がりくねった雑木で、当時の贅沢品は一切使われていません。茶の湯の大成者として千利休は、何も削るものがないところまで無駄を省いて、茶室に緊張感を作り出し、意匠的には自由闊達であり、「にじり口」を考案しました。

このような千利休の精神性は、伝統の様式美に耽溺して「本数寄屋造りは坪云百万」也という現代の薀蓄と相容れないことは言うまでもありません。
物質は貧しくても、自由闊達な精神性を忘れず、心は豊かに持ち、お客様を「一期一会」の精神でもてなせる空間こそが「数寄屋造り」の原点であると私は考えています。
長くなりましたので、「数寄屋」の話はまた別の機会に別の視点でお話したいと思います。
カテゴリ:建築雑感 2010年9月28日(火)

当設計事務所としての役目

医学部を卒業し、医者となった者は、ほとんどが一生涯、医者としての職務を全うすると思います。難関の司法試験に合格した法曹関係者についても同様でしょう。
ところが、建築の設計を志して、難関の一級建築士を合格したとしても、一生涯、建築の設計や工事監理の専門家として職務を全うするケースはそれほどは多くありません。若いうちに自らの設計の能力に限界を感じて、別の職種に鞍替えする者も多く、設計事務所の業界で生きていくためには一筋縄ではいかないのが現実です。また一級建築士を取得したとしても、設計・工事監理業務のできないペーパー建築士が多くを占めているのは否めない事実です。また他の職種と比較して、設計事務所において世襲が著しく少ない現実は、各設計者の能力に大きな隔たりがあることの証明だと思います。陶芸家や画家などの芸術の世界で、世襲が難しいのと近い側面があると思います。

建築の設計の技術というものは、基本的な建築の素養が大事なのは言うまでもありませんが、広範囲にわたる人間の生活や複雑化する社会に対しての設計者独自の切り口、あるいは建築物に対して設計者としての美意識の持ち方が非常に重要で、これといったマニュアルがない状態のなかで設計者がそれぞれ独自に探求していかなければ、設計者としての成長は見込めないという極めて厳しい掟が設計事務所の業界にあります。
このような設計事務所の業界のなかでは、当然、設計者は皆、違った価値観やポリシーを持っており、かつ、設計者によって、ヒアリング能力・提案能力に差があるため、同じお客様の案件を複数の設計者が設計した場合、与えられる条件が同じであっても、設計者によって、それぞれ違う建築物となるのが必然であります。

設計する人間によって建築物が異なるのは、建築士の資格の無いハウスメーカーの営業が設計する場合でも顕著です。こちらの場合は、建築の素養が欠けている場合がほとんどですので、基本が出来ていない思想のない商品的な設計が多いのが現実です。このようなケースは、本来、お客様にとって論外なはずですが、世の中の住宅の大半がこのような流れに乗って建築されているのは非常に残念なことであります。

と言っても、設計事務所の業界にも大きな問題を抱えています。
この業界の設計者にはコスト管理のできない者が多く存在するため、一般の消費者にとって、設計事務所の敷居が高くなっていることです。いくらかかるのかわからない建物を設計されて建築されても、今後の生活設計に支障を来たすだけですから、敷居が高くなるのも当然です。
また、設計者のエゴが強過ぎて、お客様の意向が無視されて、利益が損なわれるケースや、現場に疎い設計者が単なるトラブルメーカーになってしまうケースも散見されます。

このような設計事務所の業界・住宅業界のなかで、消費者たるお客様が最善を尽くす方法の一つとして、次のような問いかけを設計者にしてみてください。
「私たちは、これから家を建てて、そこで長い間生活をしていくことになりますが、私たちが生活する目線に立って、そして私たちの利益を守ってくれる建築物を設計して、それを実現できるだけのノウハウはどのようなものですか?」
このような趣旨の問いかけに、それぞれお客様がアレンジを加えて設計者に問いかけてみてください。そして、誠意を持ってきちんと納得のできる回答をしてくれる設計者を選択することです。建築家の斬新なデザインにばかり目を奪われることだけは避けてください。
ちなみに、この問いかけに対する当設計事務所の回答は、お客様の諸条件によって異なりますので、十分にヒアリングを行った結果、当設計事務所の信念を盛り込んで、個別に回答させていただいております。

住宅業界の販売重視・利益優先の風潮から距離を置き、設計事務所業界の悪しき側面に毒されない家造りを、一人でも多くの消費者が実行できるような環境を造り上げていくことが、当設計事務所としての役目であると私は考えています。
カテゴリ:当設計事務所の姿勢・信条 2010年9月27日(月)

初秋の茨城~平成22年

私が触れた初秋の茨城の様子を紹介したいと思います。日本三名園の一つである水戸市の偕楽園と茨城県東南部に位置する日本で2番目の大きさの湖である霞ヶ浦です。

中秋の名月の偕楽園の様子






偕楽園の月見茶会の様子


偕楽園から眺める水戸の夜景


霞ヶ浦から筑波山が一望できます。


霞ヶ浦からの土浦市街地の風景


高台から眺める霞ヶ浦
カテゴリ:設計者の日常 2010年9月26日(日)

中秋の名月



昨日は中秋の名月でした。偕楽園でもお月様の雲隠れが心配されるなか、「月見茶会」が催されていました。
元来、日本には自然を慈しむ文化があり、平安時代の頃から、十五夜には宴が行われ、歌を詠んで、池の水面に映る月を楽しむような風流さを持ち合わせていました。四季の変化に恵まれた日本には、四季折々の感性を育む背景があったと思います。
と同時に、台風や地震などの自然災害が多い日本では自然を畏怖する側面もあり、生きていくために五穀豊穣を祈って、各地に神社を造り、祭事を行って、地域社会を形成して、自然と共生する知恵を培っていったのではないかと思います。

いわゆる日本家屋も、意図せずとも、自然との共生や融合を主眼に置いて造られていました。木・紙・土・茅などの植物・石などの完全自然素材で出来た建築物は、しなやかでありながらも強靭な柳の木のような粘りのある造りで、自然と対抗するのではなく、自然の力を上手に逃がすような考え方で造られていました。
また、野の花を摘み、和室の床の間に「生け花」を飾ったりすることで、建物の内部に自然を取り込むことは日本の文化の一つであり、枯山水や池泉回遊のような日本庭園と日本家屋を融合・一体化することは、自然との共生を考慮して行われてきました。

このように、日本の伝統・文化は、「自然との共生」が必ず背景にあり、時代背景が変わった現代でも同様であると思いますが、建築の設計に携わる立場から申し上げれば、日本の伝統や文化は次第に損なわれているように思います。「住宅」が「日本家屋」から単なる「商品」に変質し、「住宅」を物理的に人間が住む「箱物」としか捉えない貧しい精神性が蔓延ってきているような気がしてなりません。
日本の伝統・文化の断続性を後世に引き継ぐことは我々、設計者としての使命であると私は考えています。
カテゴリ:建築文化・伝統 2010年9月23日(木)
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