設計者の想いの日々(ブログ)
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永井昭夫
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市街化調整区域とは?

市街化調整区域とは、都市計画法第7条で、市街化を抑制すべき区域と規定されています。それに対して、市街化区域とは、すでに市街地を形成している区域及び10年以内に優先的かつ計画的に市街地を図るべき区域と規定されています。
また、第43条で、何人(なにびと)も、市街化調整区域のうち開発許可を受けた開発区域以外の区域内においては、都道府県知事の許可を受けなければ、第29条1項二号若しくは三号に規定する建築物以外の建築物を新築してはならないとあります。

第29条1項二号の建築物とは、農林水産業の用に供する政令で定められた建築物、又は、これらの業務を営む者の居住の用に供する建築物を指します。
第29条1項三号の建築物とは、鉄道施設、社会福祉施設、医療施設、学校教育法による学校、公民館、変電所、その他政令で定める公益上必要な建築物を指します。
これらの建築物は、市街化調整区域においても建築することができます。

都市計画法は昭和43年に制定され、茨城県でも昭和45年以降から順次、「市街化区域」「市街化調整区域」の地域が指定されていきました。そのどちらにも指定されていない区域を「未線引き区域」と呼びます。
都市計画法で、「市街化区域」「市街化調整区域」のラインが線引きされて指定された日付を「線引き日」と呼称し、水戸市・土浦市・日立市などでは昭和46年3月15日、つくば市では昭和48年12月28日、取手市では昭和45年7月15日が「線引き日」になっていて、各自治体によって「線引き日」は異なります。
この「線引き日」以前から建っていた建築物については、原則的に建替えすることが可能ですが、その元々の用途を変更して建築することはできません。

市街化調整区域での建替えについては、問題はほとんど生じませんが、何も建物が建っていなかった土地、例えば、畑や山林に住宅や店舗などを建築しようとする場合は、数々の条件をクリアしなければなりません。
一戸建ての住宅を例に挙げます。近年緩和された区域もありますが、建設地は、建築しようとする者の2親等以内の親族が「線引き日」以前から、あるいは10年以上、本籍や住所を有していた大字もしくは隣接大字内での建築が基本になります。
また、建築しようとする土地が周辺に何も建物が無い状態では許可条件にはならず、70m以内の間隔で50戸程度の建物が連続していることが必要です。これをいわゆる「50戸連たん」と呼んでいます。その他、現在、借家に住んでいること、勤務先まで通うことができる範囲であることなどが条件になります。
先ほど申し上げた、近年緩和された区域とは、「エリア指定」と呼ばれる区域で、前面道路の幅員が規定以上・上水道が完備されているなどの条件が備わっている土地であれば、誰でも建築できる区域です。ただ、そのような区域は都市近郊で、だいぶ限定されています。

また、「線引き日」以前から建築物が建っていた宅地などで、市街化区域から約1km離れた地点から、「50戸連たん」が可能な区域でも、諸条件がありますが、誰でも、住宅・兼用住宅等を新築することができます。

以上が市街化調整区域で建築物を建てるにあたっての取扱いのごく一部です。調整区域の取扱いの基準は都道府県によって異なります。調整区域に建築するまでには役所との事前協議や許可の審査に数ヶ月を要することも珍しくありません。もうだいぶ以前の話ですが、用途は住宅ではありませんでしたけれど、私はその許可に2年を要した経験があります。
役所の建築指導課などで、建築や関連法規の知識を有しないけれども、建築をしたい方が、感情論で役所を責め立て、挙句の果てには、「行政はいつも対応が悪い」と捨て台詞を吐かれる風景をよく目にしますが、知識を有する者を代理人として立てて役所と折衝しなければ、丸く収まるものも、収まらなくなるわけです。裁判で、弁護士を立てずに独力で戦い、裁判長に、「裁判所は対応が悪い」と毒づくのと、まったく一緒です。建築主の代理人としての能力がある建築士を選んで、事を進めることは、弁護士を選任し裁判を円滑に進めることと同じだと思います。

以上、市街化調整区域の豆知識でした。
カテゴリ:建築知識 2010年12月23日(木)

建築物の完了検査を考える

建築物を新築したり、10㎡以上の増築をする際には、建築確認申請を提出し、建築基準法に適合しているかの審査を受けなければなりませんが、その工事が完了した時は、速やかに完了検査の申請の手続きを行って、図面通り工事が行われているかの検査を受検する義務が建築基準法第7条に規定されています。
ところが、この完了検査の受検率は、平成20年度で全国平均91%で、ワースト一位である茨城に至っては75%です。つまり、茨城の1/4の物件が完了検査を受けずに放置されているのが現状です。
茨城の完了検査受検率が低い理由としては、依然として違法建築物が多いこと、そして、完了検査を受けなかったところで、建築主(施主)や施工業者にとって、特に大きな支障がないことが挙げられます。つまり、建築主は、完成すれば違法建築の家に住むことができますし、ほとんどの銀行の融資が滞りなく実行されるということです。
銀行融資のための書類として、確認申請が通った際発行される建築確認済証は必須ですが、完了検査に合格した際発行される「検査済証」は、都市銀行を除くほとんどの銀行で求められていないようです。
このような実態に行政も黙っているわけではなく、銀行融資の必要書類として、「検査済証」を含めるよう、だいぶ以前から要請はしているようです。また、建物を登記する際にも「検査済証」を必要とする体制となるように要請はしているようです。登記できなければ、銀行の抵当権が設定できませんので、融資が実行できなくなります。けれども、まだ行政の思惑通りには、事は進んでいないようです。

ところで、この完了検査ですが、検査時間は一般住宅では30分足らずで、本当に検査としての機能を果たしているかは疑問な部分も多いです。時間の制約もありますから、非常に甘い検査となっているのが実態です。つまり、大きな違法行為はおそらく見つけることができると思いますが、小さな違法行為や手抜き工事までは、目が行き届かないということです。
本来、工事が図面通り、合法的に、建築主(施主)の意向通り、手抜きなく行われているかを確認し、施工業者を監理するのは、建築士事務所に登録されている建築士ということになっています。いわゆる建築士の「工事監理業務」です。ところが、施工業者と建築士事務所が同じ会社である場合も多かったり、建築士事務所が施工業者の下請けとなることもありますので、建築主の利益を守るような「工事監理業務」が遂行されているかについては、非常に大きな疑問が残ります。
住宅・建築業界が消費者重視の体制となり、透明度の高い業界となるには、まだまだ時間がかかりそうです。
カテゴリ:建築知識 2010年12月18日(土)

茶室・得月亭~華美に流れず、贅を凝らさず

先日、水戸市の彰考館・徳川博物館の敷地内に、2年前に移築された茶室・得月亭で、施工した大工さんを囲んで見学会・勉強会が行われました。
得月亭は、常陽銀行の創設者である亀山甚氏が戦後、間もない頃に水戸市内に建てた茶室です。その茶室が水戸徳川家に寄贈されて、徳川博物館の敷地内に移築されました。
梅まつりのお茶会の日取りが決まっていたせいもあり、移築作業3ヶ月という突貫工事で行われたようです。4畳半の茶室には床暖房がついておりました。内部は撮影禁止です。









にじり口。ここから頭を垂れながら、茶室に入ります。千利休が考案したものです。


待合。ここでお茶会が始まるのを待ちます。


さて、本格的に茶室を一軒家で新築で建てる場合、建築費用がいくらかかるかというと、坪200~300万程度かかっているのが相場のようです。茶室の大きさはだいたい10坪程度ですが、一般的な住宅を新築する金額以上の費用がかかってしまうことも決して珍しくはありません。
なぜ、ここまで費用がかかってしまうのか?
それは安土・桃山時代や江戸時代の頃に造られた茶室を復元・真似して建てようするからです。
当時では手に入りやすかった材料も、現在では入手困難だったりするわけで、その無理を通して建てるのですから、金持ちの道楽でないと建てられないような金額になってしまうわけです。
果たして、このような現在の茶室の造り方が、千利休の頃の茶の湯の精神性を引き継いでいるのか?
私としては非常に疑問に思っています。
千利休の頃の茶室は、その辺に生えているような雑木を取ったり、あり合わせの材料で、にじり口のような創意工夫を凝らしながら、造っていきました。当時の贅を凝らすような造り方はしなかったはずです。
もちろん、伝統を引き継ぐことは大事です。ただ、伝統を引き継ぐことと、当時の茶室を真似して造ることを混同してはいけないと思います。

「不易流行」という言葉があります。松尾芭蕉が『奥の細道』で語っている理念です。
「不易」とは、変わらないこと、世の中が変遷していく中でも絶対に変わらない不変の真理、先代から受け継いで後世に引き継ぐべき伝統のようなことを意味しています。
「流行」とは、文字通り、変わるもの、社会や時代の変化に伴い変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもの、時代の流れに逆らわず新しいものを摂取していくことを意味します。
そして、この相反するかのように見える「不易」と「流行」の根源は結局同じものだというのが松尾芭蕉の語る「不易流行」です。

伝統に固執すれば、陳腐化し、流行に振り回されば、何も残ることはありません。
引き継ぐべき伝統は引き継ぎ、時代の流れに逆らわず、新しものは貪欲に取り入れる。そして華美に流れず、贅を凝らさない。
現代的な解釈をし直した茶室が一体どんなものなのか、自分自身に絶えず問いかけをしながら、設計者の一人として、日々の業務を行っていきたいと考えています。
カテゴリ:茨城県央の町並み・建築・施設探訪・自然・文化 2010年12月13日(月)

エコキャンドル

建築士会を通じて、エコキャンドルを茨城県土浦市のウィンターフェスティバルに出品しました。木材の端材と大工の飲んだ日本酒の紙パック、底の部分は、廃油で出来た蝋燭で燃えないように、ビールの空き缶を裂いて、製作しました。




カテゴリ:建築士会での活動・広報 2010年12月11日(土)

大工の腕の良し悪しを考える

今まで、東京・神奈川・茨城で仕事をしてきた経験上から申し上げると、腕の良い大工が多い地域の順位は以下の通りです。

茨城>>>神奈川>東京

東京・神奈川などの都会と比較して、圧倒的に茨城のような田舎に、腕の良い大工が多い理由としては、まだ和風の化粧造りの家が残されていること、土地が広く、作業場を持つ大工も多いので、自ら加工作業のできる環境があることなどが挙げられると思います。

東京・神奈川時代の頃は、とにかく大工の腕の悪さには泣かされてきましたが、茨城に戻ってからは、そういうことも随分と減りました。
ただ、茨城は田舎ですから、間取り・外観・提案力のようなセンスや社会的教養を、大工にはあまり期待できません。そして、大工が自らの技術の腕を奮うことに頑固さを持ち合わせる分には良いのですが、センスのない分野にまで、頑固さを主張してくるところには辟易します。このような悪しき側面が消費者に見抜かれて、大工が運営する工務店からハウスメーカー・ビルダーのような新参者に仕事が流れているのは紛れもない事実であります。

今まで大工の腕の良し悪しを随分と見てきましたが、腕の悪い大工に、ほぼ共通している特徴があります。
それは、口が達者なことです。
もちろん、口が達者な大工にも腕の良い大工はおりますが、腕が悪い大工には、自称・名人が多いようです。口が上手なので、お客さん受けが良かったりする場合も多いようです。また、腕を奮うより掃除をこまめにすることで、無意識のうちに、粗(アラ)を隠そうとしている深層心理を垣間見ることができます。
現場の掃除が行き届いているからと言って、段取りも行き届いている、すなわち、必ずしも大工の腕が良いというわけでもありません。
腕の悪い大工は今の寒い時期によくわかります。隙間無く納めるところを、それが良く出来ないので、腕の良い大工と比較すると、隙間風が多いせいか、やはり寒いのです。このような下手糞な大工が、ハウスメーカー・ビルダーのような下請になって、高気密・高断熱の家を造っていたりするのですから、世の中、皮肉なものです。
この腕の良し悪しを建築士でも意外と見抜けない者が存在するのは事実で、住宅メーカーの営業マンレベルに至っては、言わずもがなです。

大工は、かつて棟梁と呼ばれていました。今でもそのように呼ぶ地域はもちろんあります。
大工が頭となって、基礎・屋根・板金・内装・左官など、その他各種業者を取りまとめて、お客様との折衝をも行ってきましたが、社会が複雑化し、消費者の価値観が多様化した現在では、ちょっと難しいのではないかと私自身は思います。
ただ、以前にもこのブログで申し上げた通り、大工には若い世代に引き継がなければならない特殊な技術があります。その引継ぎが疎かにならざるをえない時代の流れのなかで、技術の伝達のための環境造りを、設計者の一人として、積極的に行っていく所存であると、重ね重ね、申し上げる次第です。
カテゴリ:建築雑感 2010年12月10日(金)
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