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設計者の想いの日々(ブログ)すべて啓翁桜(けいおうさくら)
立春が過ぎ、先日は春一番が吹き、まだ寒いながらも、早春の気配が感じられる時期になってきました。
この花は「啓翁桜(けいおうさくら)」と呼ばれ、昭和初期、久留米市の良永啓太郎さんがミザクラを台木にし、彼岸桜の枝変わりとして誕生させました。生みの親である「啓太郎」の一字をとって「啓翁桜」と名付けられました。
石岡陣屋門
江戸時代、「府中藩」が石岡を治め、現在の石岡小学校や石岡市民会館付近に「府中藩」の陣屋(役所)があったようです。その陣屋門は「高麗門」と呼ばれる様式で、門の裏手に小さな切妻屋根が2か所あるのがその特徴です。
この「陣屋門」は1828年に建てられ、「府中藩」の江戸屋敷を建てる際、余った材料で造られたようです。その後、何度かの移築を経て、現在は元々あった場所に極めて近い位置に移されています。 陣屋門付近の酒蔵跡地にはレンガ塀が残っています。 こちらも陣屋門の近く、「旧横瀬医院」がとても魅力的です。
岡野眼科の看板~石岡駅前
「岡野眼科」の看板は石岡駅前西口すぐのところにあります。 既に岡野眼科さん自体ありませんが、この看板はずっと残っています。私が物心ついた頃からこの看板はあるので、風雨に晒されながら少なくとも40年以上はあったでしょう。ずっと多くの人々の記憶に残ってきた看板です。昭和初期の看板建築が多く残っている石岡らしい秀逸な看板と言うことが出来ると思います。
この看板は三角形になっていて、三方向から見ることが出来ます。 石岡の旧水戸街道沿いには、昭和初期に建てられた数多くの看板建築の建物があります。この辺は江戸時代「府中宿」と呼ばれた宿場町でした。昭和初期、石岡市街地に大火事があり、その後、看板建築の建物が多く建てられました。
麻生藩家老屋敷
麻生藩の家老だった「畑家」のお屋敷は江戸末期に建てられました。
旧麻生町、現在の行方市に位置します。現在の麻生小学校は麻生藩の陣屋があり、その周辺に藩士が住み、屋敷が立ち並んでいました。 茨城県内では武家屋敷は殆ど残存していませんので、貴重な建造物であり、茨城県指定文化財となっています。 現在、ひな祭り期間中でした。 表門は「薬医門」に分類されます。「薬医門」とは切妻の屋根の中心の棟の位置が一般的に真ん中に来るのではなく、正面に寄っているのが特徴で、そうすることで、正面の軒が深くなり風格のある門構えとなります。
筑波山と霞ヶ浦~行方市(旧玉造町)
筑波山と霞ヶ浦~行方市(旧玉造町)から
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