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設計者の想いの日々(ブログ)「和」の素養を培うために
ここ数年、和とモダン性を兼ね備えた「和モダン」の住宅のご要望の話をよくお伺いします。
そして、茨城県でよく見られる「木」を現しにした伝統的な「入母屋屋根」の和風住宅や、茶室を源流にしながら、自由闊達さを失うことなく、時代の変遷とともに、その幅を広げていった「数寄屋造りの家」も、「和モダン」の住宅ほどではないにせよ、その需要はあります。 日本が長い歴史のなかで培ってきた「和」の伝統というものが見直されつつあるような気がいたします。 「和モダン」の住宅にせよ、伝統的な「入母屋屋根」の住宅にせよ、「数寄屋造りの家」にせよ、その計画をするにあたっては、「和」に対する深い素養が要求されます。 けれども、戦後から現在の趨勢を鑑みるに、日本人であるから、最初から「和」の素養が身についているとは言えず、先の大戦に敗北したことによる欧米へのコンプレックスから、「和」の文化を忌避して、欧米文化に同化しようとする、あるいは、グローバルスタンダードの普及に伴い、「和」の立ち位置が非常に難しくなっているのが現状だと思います。 そんな日本の趨勢のなかで、「和」の伝統文化を学ぶことは一筋縄ではいかず、腰を据えて取り組むことが非常に重要だと思います。一過性のファッションとしての「和」に留まらぬ覚悟が必要になってくるわけです。 例えば、日本の伝統文化が凝縮されている「茶道」「華道」などは、10年稽古しても、まだまだ先は長いと言われています。それだけ、日本の文化の歴史が長く、奥深い証左なのでしょう。 と言っても、「和」の伝統文化を学ぶのは非常に結構なことなのですが、問題なのは、「和」に耽溺するあまり、見栄張りなスノビズム(俗物根性)に陥りがちになるということです。 例えば、数寄屋造りに関わる薀蓄を例に挙げてみると、「歴史的な茶室や贅を凝らした伝統的な様式美を引き継いでいくことが数寄屋造りであり、坪100万~200万以上出さなければ本数寄屋とは言えない、現在の数寄屋造りのほとんどは、数寄屋風の建物に過ぎない」などというような話が出てくるわけです。 だいたい、数寄屋造りの源泉である千利休の頃の茶室は、当時何処でも手に入った材料で造られており、当時の贅沢品は一切使われていません。つまり、当時では、非常に「現代性」に忠実な造りだったのです。 当時の「型」を真似することと、「和」の伝統文化を継承することを混同するケースが多発しているのが今の日本の現状なわけですが、 私が思うに、「和」の伝統は、「型」、「形」に現れないものだと思っています。 時代の変遷とともに、「和」の表層部分は、移り変わっていき、目に見えるものでしょうけれども、長い日本の歴史における「和の伝統の不変性」は、人それぞれが努力して培っていかなければ、永遠にわかることが出来ないものなのではないでしょうか。 「和の伝統の不変性」と、現在の自分自身が生きていくうえで避けて通ることが出来ない「現代性」の両立こそが、今後、私自身に課せられたテーマであると、私は考えています。
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