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設計者の想いの日々(ブログ)銀座の街並みPARTⅢ~銀座の街並みの形成
銀座の地名は、1612年に貨幣の鋳造を担った「銀座役所」が、現在の銀座の地に設置されたのが由来で、江戸幕府により、町人地として都市基盤が整備されました。ただ江戸時代当時は、銀細工職人などの「職人の町」としての要素が強かったようです。
明治維新後の1869年と1872年に起こった2度の大火により、大規模な区画整理とジョージアン様式の銀座煉瓦街の建設が行われ、銀座を不燃都市化し、文明開化の象徴的な街にするための政策が行われました。 1923年の関東大震災後、後藤新平による大規模な復興計画を実施し、昭和通りの整備、晴海通りや外堀通りの拡幅が行われましたが、1872年の区画整理時の街並みは残されたままでした。 江戸時代からの長い歴史を引き継ぐ銀座は、戦前からの建物も残され、その代表格として、1932年渡辺仁が設計した、時計台が特徴的である百貨店の「和光本館」が挙げられます。建築された当時は、服部時計店(現在のSEIKO)の社屋であり、時計台四面に時計が取り付けられ、4つの時計はそれぞれ、正確に東西南北の方角に向いています。 外壁は2階までが岡山県産の万成石(桜御影石とも呼ばれます)で、3階以上も御影石(産地不詳)です。 私は個人的に、この「和光本館」が非常に好きで、この建物を見ると銀座に来たと思うと同時に、安堵感を覚えます。 最近の斬新な建物に囲まれながらも、古き良き「和光本館」は、今後も末永く銀座の象徴的な建物として、不思議な存在感を誇示していって欲しいと思います。 和光本館(旧・服部時計店社屋) 路地裏にも、時代を感じさせる個性的な建物が建っています。
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