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設計者の想いの日々(ブログ)2014年9月11日(木)博多長浜ラーメン
長浜ラーメン~田中商店(足立区一ツ家)
本格的なトンコツラーメンである、長浜ラーメン(博多長浜ラーメン)が東京に進出してきたのは1980年代後半に遡る。 世田谷区の下北沢から程近い環七沿いに「なんでんかんでん」が開店したのである。 後年、TV番組「マネーの虎」にレギュラー出演した川原氏が故郷の長浜ラーメンを東京にも広めたいという志のもと、旧友の岩佐氏を誘って始めた店である。この店から東京の長浜ラーメンの隆盛が始まったと言えるだろう。 私は1989年頃から下北沢近郊に住んでおり、この店まで自転車で約5分程度であり、足繁く通ったのである。 「なんでんかんでん」は開店当初は閑古鳥が鳴くような店で、周囲に豚骨臭をまき散らし、近隣からクレームが来るような有様だった。川原氏や岩佐氏は、時々ラーメンを食べに来る私の顔色を窺い、今日のスープの出来が悪かったのかな?と心配そうな顔をすることもあった。 川原氏は厨房には立つことはあるものの、まともに調理をしているのをみたことがないので、その辺は素人だったのだろう。どちらかというと店を盛り立てる営業の役に徹していた。時にはウルトラマンの着衣を来て店に乱入することもあった。 一方、岩佐氏はフランス料理のコックだったこともあり、厨房の仕切りは間違いなく岩佐氏であった。 豚骨ならではの濃厚さ・脂っぽさがありながら、フランス料理のような上品さですっきり仕上げる「なんでんかんでん」のラーメンの虜になるまで、さほど時間はかからなかった。 1990年代に入り、数十人の行列を成すマスコミを賑わすような繁盛店になってからは、並ぶのがかったるいので、店に行く回数は減ったが、90年代半ばに下北沢から引っ越しするまで定期的に通い続けた。 1990年代後半に入り、「なんでんかんでん」の味が落ちたという噂が入った。なんのことはない調理の要だった岩佐氏が店を辞め、「御天」という店で独立したのである。最近でこそ、「御天」には顔を出せていないが、最盛期の「なんでんかんでん」の味を食べさせてくれる店であった。しかし営業的手腕に劣ったせいか、「なんでんかんでん」ほどの繁盛は見ていない。 現在の長浜ラーメンの店は都内に数十あると推測されるが、まずだいたい、その系譜を辿ると「なんでんかんでん」「御天」に行き着くようである。足立区の「田中商店」は「金太郎」という店の店主になってから独立したが、金太郎は「なんでんかんでん」の従業員であった。墨田区の「よかろうもん」も同様である。 そして、現在は「田中商店」からも数多くの者が独立して店を構えているようである。 関東の者にも本場の長浜ラーメンを提供する礎を作った川原氏、岩佐氏には感謝の念に堪えない。そして茨城県にも「田中商店」「御天」と並ぶような店が出来ることを希望する次第である。
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