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設計者の想いの日々(ブログ)茨城県北の町並み・建築・施設探訪・自然・文化横川の下滝~常陸太田市
常陸太田市の旧里美村にある「横川の下滝」は、2段に分かれて流れ落ちるのが特徴的で、落差は約18m、幅が7mほどあり、水量が多い。国道461号沿いに位置する。別名「湯平の大滝」。
雪村庵~常陸大宮市室町時代後期から戦国時代にかけて活躍した水墨画家で禅僧の雪村(せっそん)のゆかりの地に程近い、常陸大宮市の木立ちのなかにある日本家屋を改装した雪村庵は、イメージと違い、和食ではなく、地場産の食材を活用したフランス料理のお店です。
雪村うちわ~常陸太田市
雪村(せっそん)うちわ~常陸太田市
室町時代後期から戦国時代にかけて、常陸太田出身の水墨画家で禅僧の雪村が創始したと伝えられる「雪村うちわ」は、真竹で作った骨に西ノ内和紙を貼り、馬やアサガオ、水戸八景などの水墨画が施してあります。水戸光圀公も愛用したといわれています。 現在、常陸太田の「雪村うちわ」を作っているのは、この道80年になる枡儀団扇店の圷總子さんだけです。 骨となる竹は節を落とし刃を入れてから、青い竹が黄色くなるまで1年間毎日干します。 完成までには33工程あり、大変なのは刃入れ。40本を同じ薄さに入れるこの作業で、うちわの形が決まるからだといいます。 ソ-スかつ丼・釜平~常陸太田市鯨ケ丘商店街
スロータウン鯨ヶ丘ひなまつり~常陸太田市石畳の道や風情のある店構えなど、古いたたずまいが残る鯨ヶ丘。この地区の文化や歴史を味わいながら、おひな様巡りが楽しめます。店舗店頭や空き店舗に飾られるおひな様は約120セット。のんびり、ゆったりの散策にぴったりのまつりです。3月31日迄。
西山荘
茨城県常陸太田市にある「西山荘」は、水戸藩2代藩主である徳川光圀が家督を譲って、1690年から亡くなるまでの約10年間、移り住んだ隠居の地です。その後、「西山荘」は、1817年の野火により焼失した後、1819年、規模を1/3に縮小して再建されました。
光圀が始めた大日本史編纂事業は、神武天皇から後小松天皇までの百代の帝王の治世を漢文体で纏めたものであり、明治39年に完成した。この「大日本史編纂事業」が長年行われたことにより、水戸の「尊皇攘夷」の気風が培われたことは否定出来ないであろう。 2011年の東日本大震災により、「西山荘」は大きな被害を蒙り、現在、徳川家所有の森の材木を使用しながら、災害復旧工事中です。 「西山荘」は、御殿の大きさこそ42坪ですが、周辺の山林を含め約5万7千坪の敷地を有し、公益財団法人徳川ミュージアム(理事長・徳川 斉正氏・水戸徳川家15代当主)が所有・管理・運営しています。茨城県指定史跡。 守護宅 御殿
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