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設計者の想いの日々(ブログ)栃木県の町並み・建築探訪栃木市の町並みPARTⅡ~蔵の街大通り
1617年、徳川家康の霊柩が日光山に改葬され、その後、朝廷からの勅使が日光東照宮へ毎年参向するようになり、その勅使を「例幣使」と呼んだことから、通る道を「例幣使街道」と呼ぶようになり、現在の栃木市はその宿場町として栄えました。
京都から日光に至る「例幣使街道」が通る栃木の宿は、東照宮に参拝する西国の諸大名も通り、賑わいを見せたようです。 今回は、その「例幣使街道」の一部である、現在の通称「蔵の街大通り」を紹介します。 コンビニエンスストアも街並みと調和するような色彩で建てられています。 栃木名物・ジャガイモ入りやきそば~好古壱番館
栃木市の町並みPARTⅠ~巴波川沿い・塚田家・横山家
蔵の街として知られる栃木市は、江戸時代から市の中心部を流れる巴波川(うずまがわ)の舟運による江戸との交易で栄え、栃木からは木材や農産物、江戸からは塩などが運ばれました。
栃木市には、江戸、明治、大正とその時代を語り継ぐ歴史的建造物が数多く残されています。 塚田家(塚田歴史伝説館) 江戸時代後期から木材回漕問屋を営み、巴波川(うずまがわ)から利根川を経由し、江戸深川の木場まで木材を運んでいました。 巴波川沿い120mにわたる黒塀と白壁の土蔵は圧巻です。 横山家(横山郷土館) 店舗の右半分で麻問屋、左半分で銀行を営んでいました。 両袖切妻造りと呼ばれる貴重な建物には、当時を偲ばせる帳場などが再現されています。店舗の両側には鹿沼産の深岩石で作られた蔵が、左右相対して建ち、防火対策として、軒廻りに赤レンガが組まれています。 巴波川(うずまがわ)は冬場限定でライトアップされています。
ちょっ蔵広場・JR宝積寺駅
宇都宮市街地から約10km程北東に位置する高根沢町は、大穀倉地帯であり、宝積寺駅は米麦輸送の拠点でした。
駅前の大谷石の石蔵は解体される予定もありましたが、石蔵の曳き家を行ったりしながら改修し、新しく建てる建物も、元々の石蔵で使われていた大谷石を再利用し、採り入れたりしながら、街並みの再生が行われました。隈研吾による設計。 JR宝積寺駅 一般的な針葉樹合板を菱形に形作った天井が個性的である。 これも隈研吾による設計。
宇都宮「屋台横丁」大人が丁度擦れ違えるほどの幅の路地に、6~7人入ればやっとの屋台が20数軒、軒を連ねる。 路地は真っ直ぐよりも、少し曲がりくねっているような路地のほうが期待感があって面白い。 屋台に腰を落ち着ければ、さすがに狭い空間、知らない同士でも店内で話が自然とはずむ。 居酒屋の半個室化が主流となった現在、「屋台横丁」には人間同士の自然な触れ合いが息づいている。
大谷石資料館(大谷石地下採掘場跡)・平和観音
宇都宮市大谷町にある「大谷石資料館」は、その広さ2万㎡、深さ30mにも及ぶ大谷石地下採掘場跡で、その見学はもちろんのこと、コンサート、映画などの撮影、美術展、結婚式などイベントスペースとして利用されています。
大谷石の採掘が本格的に行われ始めたのは江戸中期頃からで、昭和30年代から機械化され、大量に採掘されるようになりました。 大谷石は火山灰から成る「凝灰岩」で、塀などに多く利用されてきました。地震に弱い、脆いというイメージがありますが、特に内装材として利用については、自然素材のひとつとして、まだまだ無限の可能性を秘めているように私は考えています。 大谷石資料館周辺には、まだまだ大谷石が無限に近く存在しています。 平和観音 大谷石の採掘場跡に立つ高さ27mの観音像。昭和29年に手彫りにて築造。 大谷石資料館と目と鼻の先です。
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