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設計者の想いの日々(ブログ)当設計事務所の姿勢・信条真理への追求・終わりなき旅
一滴の水が山から流れて、小さな川を造り、幾つもの小さな川が連なって、大河となり、やがては多くの人々を潤します。
曹源とは、あらゆる禅の宗派の源となったと云われる唐の慧能禅師が住んでいた支那大陸・曹渓の源流のことです。 慧能禅師が当時、たった一人で説いてまわった説法が、時代を超えて伝承され、後世のたくさんの人々の救いの言葉となり、心の拠り所になる。 1000年以上前から今日まで繁栄した慧能禅師の仏法を「曹源一滴水」と言います。 たった一人では、何も出来ることがないと思わず、一滴の水が、やがては大河となりうると考える。 孤立無援であろうが、孤軍奮闘と陰口を叩かれようが、自分が正しいと信じる道を歩む。 昔、私は、とある師から、「大事を成すならば、精神の孤独を知りなさい」と言い伝えられました。 もう20年以上前のことです。 付和雷同することなく、「精神の孤独」を知って、自分自身、何が正しく、何が信じられる道なのかを突き詰める。 ノーベル賞受賞者だろうが、どんな発明家であろうが、「孤独」を知りながらも、自分自身の信ずる道を探索したからこそ、その成果があるのであって、「孤独」を途上で放棄してしまったら、大勢に埋没してしまい、不本意な結果に終わったのは間違いないでしょう。 「孤独」を知りながらも、自分自身の信じた道を歩み続ければ、永遠に「孤独」ではないはずです。 当設計事務所は、決して「長いものに巻かれる」ことなく、自らの信念を曲げず、その他大勢に埋没することなく、本物、真理とは、何なのかを追求していきます。それは一生続く「終わりなき旅」です。
不易流行
「不易流行」という言葉は、松尾芭蕉が『奥の細道』で語っている理念です。
「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」 即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」 しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」 ... 「不易」とは、変わらないこと、世の中が変遷していく中でも絶対に変わらない不変の真理、先代から受け継いで後世に引き継ぐべき伝統のようなことを意味しています。 「流行」とは、文字通り、変わるもの、社会や時代の変化に伴い変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもの、時代の流れに逆らわず新しいものを摂取していくことを意味します。 そして、この相反するかのように見える「不易」と「流行」の根源は結局同じものだというのが松尾芭蕉の語る「不易流行」です。 伝統に固執すれば、陳腐化し、流行に振り回されば、何も残らない。 「不易」と「流行」を一体化させる作業は、私自身、まだ端緒に過ぎず、これからの私の半生の重要なテーマとなっていくことでしょう。
「和」の素養を培うために
ここ数年、和とモダン性を兼ね備えた「和モダン」の住宅のご要望の話をよくお伺いします。
そして、茨城県でよく見られる「木」を現しにした伝統的な「入母屋屋根」の和風住宅や、茶室を源流にしながら、自由闊達さを失うことなく、時代の変遷とともに、その幅を広げていった「数寄屋造りの家」も、「和モダン」の住宅ほどではないにせよ、その需要はあります。 日本が長い歴史のなかで培ってきた「和」の伝統というものが見直されつつあるような気がいたします。 「和モダン」の住宅にせよ、伝統的な「入母屋屋根」の住宅にせよ、「数寄屋造りの家」にせよ、その計画をするにあたっては、「和」に対する深い素養が要求されます。 けれども、戦後から現在の趨勢を鑑みるに、日本人であるから、最初から「和」の素養が身についているとは言えず、先の大戦に敗北したことによる欧米へのコンプレックスから、「和」の文化を忌避して、欧米文化に同化しようとする、あるいは、グローバルスタンダードの普及に伴い、「和」の立ち位置が非常に難しくなっているのが現状だと思います。 そんな日本の趨勢のなかで、「和」の伝統文化を学ぶことは一筋縄ではいかず、腰を据えて取り組むことが非常に重要だと思います。一過性のファッションとしての「和」に留まらぬ覚悟が必要になってくるわけです。 例えば、日本の伝統文化が凝縮されている「茶道」「華道」などは、10年稽古しても、まだまだ先は長いと言われています。それだけ、日本の文化の歴史が長く、奥深い証左なのでしょう。 と言っても、「和」の伝統文化を学ぶのは非常に結構なことなのですが、問題なのは、「和」に耽溺するあまり、見栄張りなスノビズム(俗物根性)に陥りがちになるということです。 例えば、数寄屋造りに関わる薀蓄を例に挙げてみると、「歴史的な茶室や贅を凝らした伝統的な様式美を引き継いでいくことが数寄屋造りであり、坪100万~200万以上出さなければ本数寄屋とは言えない、現在の数寄屋造りのほとんどは、数寄屋風の建物に過ぎない」などというような話が出てくるわけです。 だいたい、数寄屋造りの源泉である千利休の頃の茶室は、当時何処でも手に入った材料で造られており、当時の贅沢品は一切使われていません。つまり、当時では、非常に「現代性」に忠実な造りだったのです。 当時の「型」を真似することと、「和」の伝統文化を継承することを混同するケースが多発しているのが今の日本の現状なわけですが、 私が思うに、「和」の伝統は、「型」、「形」に現れないものだと思っています。 時代の変遷とともに、「和」の表層部分は、移り変わっていき、目に見えるものでしょうけれども、長い日本の歴史における「和の伝統の不変性」は、人それぞれが努力して培っていかなければ、永遠にわかることが出来ないものなのではないでしょうか。 「和の伝統の不変性」と、現在の自分自身が生きていくうえで避けて通ることが出来ない「現代性」の両立こそが、今後、私自身に課せられたテーマであると、私は考えています。
腹(肝)を据えて
どんな仕事でも一緒だろうとは思いますが、腹(肝)が据わっていないと、自分自身の生業である、建築の設計の仕事は、やっていられないなと振り返る、今日この頃です。但し、それは、常に自分自身の臆病さと裏腹の関係にあるのであって、年齢を経れば、経るほど、様々な経験が蓄積され、「怖さ」を知り、益々、臆病になっていくものですが、それに伴って、様々な場面での「決断」の積み重ねの重要性がクローズアップされてくるわけです。「決断」が出来なければ、全く前に進みませんし、「臆病」なだけでは、何も実行できずに、終わります。まさに、「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹かす」ような状態に陥ることになります。この故事成語、私は、普段、何気なく使用していますが、書いた序に、この言葉の由来と意味を調べてみました。
「.ある失敗に懲りて、必要以上に用心深くなり無意味な心配をすることのたとえ。羹(肉や野菜を煮た熱い汁物)を食べたら、とても熱くて懲りたので、冷たい食べ物である膾(生肉の刺身。鱠では生魚となり誤り)を食べる時にまで息を吹きかけて冷ましてから食べようとしてしまう、という状況を表している」 誰が言った言葉か忘れてしまいましたが、年齢を経たある人物が、ある若い衆に言いました。「お前、怖いものなんてないだろ?」 若い衆は、粋がって、当然の如く、「はい」と答えました。 誰が見ても、何も恐れていないようかのように見えるその強面の人物は、若い衆を諭すように言いました。「人生は、怖いものを作っていくゲームなんだよ、お前にわかる?」 「怖さ」と「決断」を、未来永劫、繰り返していき、そして、また、原点に戻る。 まさに、「永劫回帰」です。 腹(肝)を据えて、その事実を受け止めて、日頃の業務に努めていきたいと、私は考えています。
老舗の家訓を考える
その昔から、老舗の家訓には、災害や飢饉に乗じて荒稼ぎをしてはいけないとあるのは、厳然とした事実です。
皆が困っている時ほど、報恩感謝の精神で、時には赤字を出してでも、世に尽くす、それが長く商売を続けていく秘訣であると、そういうことなのではないかと思います。 ところが、 今回の東日本大震災では、荒稼ぎを目論もうとする者が少なからず存在しているのは、私の見聞するところで、例えば、東日本の被災地の瓦屋根の甚大な被害を尻目に、西日本から、震災前の倍近くの手間賃で出稼ぎに来ようとする者、そして、そんな輩を見て、東日本の業者でもそれに便乗しようとする者、震災前は仕事の評判の悪さから廃業寸前に追い込まれていたにもかかわらず、ブルーシート養生などの応急処置や被災建物の補修工事で、法外な請求をしようとする者が後を絶ちません。まさに火事場の大泥棒です。だいたい、そんな阿漕な商売を続けていけるのは、ほんの数年足らずであって、気がついたときは評判を落とし、平常時には相手にもされなくなり、淘汰されていきます。非常事態な時ほど、人は人をよく見るのです。 老舗の家訓、新参者である私自身、噛み締めていきたいと思います。
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