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設計者の想いの日々(ブログ)当設計事務所の姿勢・信条建築は仁術
もう20年前の頃のことです。当時、私が大きな工事現場のいちばん下っ端の現場監督をしていた頃のことです。現場監督といっても、右も左もわからない名前ばかりの現場監督でした。何もわからないのですから、当然、現場の段取りもまともにできず、上司と何十人もいる職方さんの間に挟まれて、悪戦苦闘をしていました。その頃、とある職方さんに言われた言葉をふと急に思い出しました。
「急にやってくれと言われてすぐ行う仕事と、前もってわかっていて行う仕事では、同じようでいて、全く違うんだ。」 もちろん、現場のなかでのやり取りですから、こんな上品な言葉遣いはしていませんでしたが、このようなニュアンスのことを言われました。 このことは、現在の建築設計という私の仕事にも当てはまるような気がいたします…。 特に、プランニングを行うに際して、お客様の要望を聞いて即座に取りかかってすぐに結果を出そうとする仕事と、お客様の要望を聞いて、頭の中で寝かしながら、構想を練って行う仕事では、やはり違うのです。率直に申し上げると、即座にプランニングに取り掛かって、すぐに結果を出そうとしたところで、なかなか上手くいくことは少なく、一進一退を繰り返し、お客様と設計者が悪戦苦闘の泥沼にはまり、これから長い期間生活していく拠点を作るという視点が双方に欠けてくることが往々にしてあります。 こういう状態に陥るのであれば、「急がば回れ」ではありませんが、お客様の要望の背景にある「人となり」や生活感覚・美意識を設計者が感じ取り、もし、それが設計者自身でわからないのであれば、納得してわかる時が来るまで待つ、つまり、時が熟する時が来るのを待ったほうがいいのではないかと私は思います。 もちろん、時間をかければ、いいものができるとは限りません。短い期間でも、優れた結果を出す設計者ももちろんいますが、それは、必ず、それなりのプロセスを経ています。 これは極端な例ですが、ある設計者が初めて会ったお客様に言ったそうです。 「私は貴方と今日初めて会ったから、貴方のことをよく知りません。だから、これから半年貴方を知るために一緒に遊びたいのです。」 こういうヒアリング能力や感受性に欠けている設計者も人迷惑な話なのですが、この設計者を100%否定し切れない側面があるのも事実です。 「医は仁術なり」という言葉があります。「医」は技術を奮うより以前に、「人を思う心」が根幹にあり大事であると、私なりに解釈していますが、このことは「医」の分野に限らず、どの分野でも例外ないことであって、もちろん「建築」の世界にも当てはまることだと思います。 「建築」はもちろん技術の世界ですが、その大前提に「仁術」があることを忘れてはならないのです。 話がやや逸れてしまった部分もありますが、今日、私が言いたかったことは、百人百様であるお客様の特性を設計者として吸収して、時には、設計者の頭のなかに寝かして、発酵させる期間も必要ではないかということです。お客様の立場に立てば、設計者とのやり取りのなかで、お客様それぞれの考えを整理して決断していく期間が必要であるということだと思います。 設計・工事監理する期間は短いかもしれませんが、その期間内には、建築主の濃密なドラマが凝縮されているということを、設計者の一人として、決して忘れてはならないと考える次第です。
工事監理の重要性
当設計事務所では、設計から工事監理まで一貫して業務を遂行することを理念として掲げています。設計業務のみというご依頼は、原則としてお受けすることができません。
いくら設計が優れていたとしても、肝心の工事が業者に丸投げでは、お客様に対する責任を果たしていると言えないと当設計事務所では考えています。 設計者が行う「工事監理」とは、施工会社が行う「現場管理」とは違います。設計者が行う「工事監理」とは、まず、施工業者が提出する見積書を細部にわたって精査して、お客様の立場に立って、施工業者と金額面を含めて交渉したり、工事着工後は、図面通りに工事が行われているか、あるいは、品質が確保されているかを確認する業務です。人間ですから、間違いをすることもあり、その際は、設計者である「工事監理者」は、施工業者に注意を与えます。また「工事監理」は、アフターメンテナンスのご相談にのったりすることまで含まれます。 図面通りに工事を行うことなど簡単なことではないのか?と疑問に思われる方もおられるかもしれません。けれども、私が長い間、工事監理業務を行ってきて、指摘是正事項が全く無かった現場は皆無です。多いときは、一日に10項目以上の指摘事項が挙がることもあります。建築物は、現場加工品であり、工場のラインで製造される工業製品とは違って、全く同じものが無いオーダーメイド品ですから、どうしてもヒューマンエラーが生じやすいと言えると思います。したがって、施工業者と利害関係のない「工事監理者」がチェック機能を果たすことは、きわめて重要なことであると考えます。 逆に、同一会社が設計と施工を行う場合は、この辺のヒューマンエラーがナァナァとなって、ミスが隠蔽されることは、よく見聞する話です。設計施工一貫方式では、お客様の立場に立って行われる「工事監理」 が有名無実化しやすいのです。 設計から工事監理まで一貫して業務を遂行し、お客様の窓口も工事期間中に至るまで当設計事務所が行い、建築の弁護士的役割を果たすことが、お客様の利益につながり、満足いただける建築物を提供できるのではないかと常々、私は考えています。
建築は芸術ではありません。
ニーチェ「さまざまな意見と箴言」より引用
「計画を立てるのはとても楽しく、快感をともなう。長期の旅行の計画を立てたり、自分の気に入るような家を想像したり、成功する仕事の計画を綿密に立てたり、人生の計画を立てたり、どれもこれもわくわくするし、夢や希望に満ちた作業だ。 しかし、楽しい計画づくりだけで人生は終始するわけではない。生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。そうでなければ、誰かの計画を実行するための手伝いをさせられることになる。 そして、実行が計画される段になると、さまざまな障碍、つまずき、憤懣、幻滅などが現れてくる。それらを一つずつ克服していくか、途中であきらめるしかない。 では、どうすればいいのか。実行しながら、計画を練り直していけばいいのだ。こうすれば、楽しみながら計画を実行していける。」 哲学者の言葉で、私の建築設計・工事監理の仕事を説明すると、こういうことになると思います。これ以上でもこれ以下でもありません。夢があって現実がある。常に冷静さと情熱を兼ね備えて、平衡感覚を持ち続けることが設計者として重要です。建築は芸術ではありません。実用です。使われてこそ、経年変化に伴い、味が出てくるものです。 コスト管理もできず、雨漏りしても平気で開き直り、芸術性を云々する自称・建築家は一般の消費者や企業を巻き込まず、公共工事でも税金を無駄遣いしないような方法で、自らの夢を現実にして欲しいと思います。 かと云って、建築物は、いわゆる「商品」ということにも、決してなりません。特に住宅を「商品」的に扱うような風潮は、見るに忍びありません。
当設計事務所は違法建築への対応が出来ません!
当設計事務所といたしまして、仮にお客様が希望されたことであっても、違法建築への対応は一切出来かねますので、予めご了承ください。また、お引渡し後の違法改造を前提とした設計をも行うことができません。完了検査が通れば、後は「野となれ山となれ」というわけにはいかない諸事情をご斟酌ください。
ちなみに、違法建築を希望されるお客様のなかで、違法建築の問題性・危険性を建築士から説明されないまま工事をされるお客様は「被害者」、説明義務を果たしていない建築士が「加害者」という構図になります。いかなる理由があろうとも、違法建築の全責任は設計・工事監理を担当した建築士が負うことになります。 つまり、お客様が積極的に望んだ違反建築を行って、その為にお客様が損害を蒙った場合、建築士が全ての責任を負うということです。 本当はこのようなことは書きたくはありませんでした。ただ一部であるとは思いますが、違法建築を平気で行う建築士が存在するがために、当設計事務所も同じような違法行為を要求されるのは非常に残念であることから、断腸の想いで、この場を借りて書き記した次第です。
当設計事務所としての役目
医学部を卒業し、医者となった者は、ほとんどが一生涯、医者としての職務を全うすると思います。難関の司法試験に合格した法曹関係者についても同様でしょう。
ところが、建築の設計を志して、難関の一級建築士を合格したとしても、一生涯、建築の設計や工事監理の専門家として職務を全うするケースはそれほどは多くありません。若いうちに自らの設計の能力に限界を感じて、別の職種に鞍替えする者も多く、設計事務所の業界で生きていくためには一筋縄ではいかないのが現実です。また一級建築士を取得したとしても、設計・工事監理業務のできないペーパー建築士が多くを占めているのは否めない事実です。また他の職種と比較して、設計事務所において世襲が著しく少ない現実は、各設計者の能力に大きな隔たりがあることの証明だと思います。陶芸家や画家などの芸術の世界で、世襲が難しいのと近い側面があると思います。 建築の設計の技術というものは、基本的な建築の素養が大事なのは言うまでもありませんが、広範囲にわたる人間の生活や複雑化する社会に対しての設計者独自の切り口、あるいは建築物に対して設計者としての美意識の持ち方が非常に重要で、これといったマニュアルがない状態のなかで設計者がそれぞれ独自に探求していかなければ、設計者としての成長は見込めないという極めて厳しい掟が設計事務所の業界にあります。 このような設計事務所の業界のなかでは、当然、設計者は皆、違った価値観やポリシーを持っており、かつ、設計者によって、ヒアリング能力・提案能力に差があるため、同じお客様の案件を複数の設計者が設計した場合、与えられる条件が同じであっても、設計者によって、それぞれ違う建築物となるのが必然であります。 設計する人間によって建築物が異なるのは、建築士の資格の無いハウスメーカーの営業が設計する場合でも顕著です。こちらの場合は、建築の素養が欠けている場合がほとんどですので、基本が出来ていない思想のない商品的な設計が多いのが現実です。このようなケースは、本来、お客様にとって論外なはずですが、世の中の住宅の大半がこのような流れに乗って建築されているのは非常に残念なことであります。 と言っても、設計事務所の業界にも大きな問題を抱えています。 この業界の設計者にはコスト管理のできない者が多く存在するため、一般の消費者にとって、設計事務所の敷居が高くなっていることです。いくらかかるのかわからない建物を設計されて建築されても、今後の生活設計に支障を来たすだけですから、敷居が高くなるのも当然です。 また、設計者のエゴが強過ぎて、お客様の意向が無視されて、利益が損なわれるケースや、現場に疎い設計者が単なるトラブルメーカーになってしまうケースも散見されます。 このような設計事務所の業界・住宅業界のなかで、消費者たるお客様が最善を尽くす方法の一つとして、次のような問いかけを設計者にしてみてください。 「私たちは、これから家を建てて、そこで長い間生活をしていくことになりますが、私たちが生活する目線に立って、そして私たちの利益を守ってくれる建築物を設計して、それを実現できるだけのノウハウはどのようなものですか?」 このような趣旨の問いかけに、それぞれお客様がアレンジを加えて設計者に問いかけてみてください。そして、誠意を持ってきちんと納得のできる回答をしてくれる設計者を選択することです。建築家の斬新なデザインにばかり目を奪われることだけは避けてください。 ちなみに、この問いかけに対する当設計事務所の回答は、お客様の諸条件によって異なりますので、十分にヒアリングを行った結果、当設計事務所の信念を盛り込んで、個別に回答させていただいております。 住宅業界の販売重視・利益優先の風潮から距離を置き、設計事務所業界の悪しき側面に毒されない家造りを、一人でも多くの消費者が実行できるような環境を造り上げていくことが、当設計事務所としての役目であると私は考えています。
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