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設計者の想いの日々(ブログ)すべて真珠の耳飾りの少女
上野公園にある東京都美術館で、オランダの画家であるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が9月17日まで公開されています。
『真珠の耳飾りの少女』は、ヨハネス・フェルメールが1600年代に描いたものです。 この絵は、フェルメールが破産同然で43歳で逝去した後、競売にかけられ、転々とし、現在はオランダのマウリッツハイス美術館が所有しています。 この絵の現在の推定価格は100~150億円。 天才音楽家であるアマデウス・モーツァルトは、晩年は借金取りに追われ、貧民用の共同墓地に捨てられるように埋葬されました。 ドイツの哲学者であるニーチェも、大学から追われ、出版する著書も売れず、晩年は脳梅毒とも脳腫瘍とも噂される病気で発狂し、逝去しました。 天才は「清貧に甘んずる」べきという論調は、私は大嫌いで、同世代の人間が天才を認めようとせず、俗な凡庸な才能を持つ人間を祭り上げるのが常の世の中に、私は猛烈に反発しています。 非常に極論で、俗な言い方かもしれませんが、天才こそ、大邸宅に住み、高級車を数多く所有し、何十人という愛人を抱えるような生活がすべきであると、私は思うときもあります。 ルノワール 「芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか」 … *二つの絵画は共に、著作権が切れた絵画を掲載する「ヴァーチャル絵画館」から転載しています
私のストレス解消法
茶道の稽古を始めて4年半、先日、「濃茶点前」の修了証を頂きました。
茶道の稽古風景です。 華道、「いけばな」のほうも、女性ばかりに囲まれて稽古を続けて4年が経ちました。 茶道、華道ともに敷居が高く、高尚な趣味という先入観を持たれる方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。私が茶道・華道の稽古を始めると宣言した時の周囲の反応は、ガラにもないことに手を出して長続きするわけがないだろうという冷ややかなものでした。夜な夜な飲み歩いて、享楽的な生活をしていたほうが、私の性に合っているのではないかと、散々、言われたものです。 けれども、非日常的な空間で、日本の伝統と言うべき茶道・華道の稽古に励むことは、日常の喧騒からしばし離れることが出来て、ストレス解消になっています。 聖人君子の生き方など絶対に出来ない私ですら、稽古を継続できるのですから、誰しも覚悟を決めれば、打ち込むことは可能だと思います。 現代では、茶道・華道ともに精神修養的側面が強調されることもありますが、それよりまず、非常に楽しく稽古出来るというのが私の率直な感想です。 昔々、茶道というものは、現代で言うゴルフ・麻雀のような要素があったという意見もあります。また、華道も男子の嗜みだったのです。 茶道・華道も、私自身、まだまだ先の道のりは長く険しいですが、「継続は力なり」と信じて、これからも稽古を続けていきたいと考えています。まだ4年程度の稽古しかしていませんが、私自身の生業である建築設計という仕事をするうえで、幅が広がり、また、余裕が生まれているように感じます。 とは言ってみても、飲み歩くのは相変わらず好きですけれどね。ただ、それだけで一生を終えるのは寂しいですよ。
不易流行
「不易流行」という言葉は、松尾芭蕉が『奥の細道』で語っている理念です。
「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」 即ち「不変の真理を知らなければ基礎が確立せず、変化を知らなければ新たな進展がない」 しかも「その本は一つなり」即ち「両者の根本は一つ」 ... 「不易」とは、変わらないこと、世の中が変遷していく中でも絶対に変わらない不変の真理、先代から受け継いで後世に引き継ぐべき伝統のようなことを意味しています。 「流行」とは、文字通り、変わるもの、社会や時代の変化に伴い変わっていくもの、あるいは変えていかなければならないもの、時代の流れに逆らわず新しいものを摂取していくことを意味します。 そして、この相反するかのように見える「不易」と「流行」の根源は結局同じものだというのが松尾芭蕉の語る「不易流行」です。 伝統に固執すれば、陳腐化し、流行に振り回されば、何も残らない。 「不易」と「流行」を一体化させる作業は、私自身、まだ端緒に過ぎず、これからの私の半生の重要なテーマとなっていくことでしょう。
衣食住
「衣食住」とは、人間が生活していくために基礎となる、「衣(服装、ファッション)」、「食(食事・食文化)」、「住(住居)」のことです。
言うまでもなく、「衣食住」は、私が携わる「建築」の分野とも密接な関係があり、人間が住むための居住空間を造り、建物に「衣」を着せ、「食」のための空間、例えば、住宅のダイニングや飲食店で、心地よく、より美味しく食事を食べていただくことを考えるなど、「衣」「食」「住」の三要素全てにおいて、こだわりを持つことが大事であると常々考えています。 というわけで、今回は、「食」をテーマに、私自身のグルメ日記をまとめてみようと思います。 まごころ豚の赤ワイン味噌煮~とう粋庵(水戸市千波町) まんぷくランチ~こだわりとんかつ「ねぼけ」(水戸市姫子) かあちゃん定食(海鮮かき揚げ丼)~大洗かあちゃんの店/大洗町漁業協同組合 釜揚げシラス丼~お魚天国(大洗町) 広島風お好み焼~蔵人(かすみがうら市) ソーキそば~沖縄料理かなでち(水戸市南町) スタミナ冷やしダブル~我流食堂(水戸市笠原町) 博多長浜ラーメン~田中商店 (足立区一ツ家) 岩のりチャーシューラーメン~がんこやラーメン(かすみがうら市) チャーシュー麺~大勝軒(杉並区永福町) チャーシュウメン~ラーメン・いっとく(つくば市) 焼き栗~小澤栗園(笠間市) 阿闍梨餅(あじゃりもち)~京都
「和」の素養を培うために
ここ数年、和とモダン性を兼ね備えた「和モダン」の住宅のご要望の話をよくお伺いします。
そして、茨城県でよく見られる「木」を現しにした伝統的な「入母屋屋根」の和風住宅や、茶室を源流にしながら、自由闊達さを失うことなく、時代の変遷とともに、その幅を広げていった「数寄屋造りの家」も、「和モダン」の住宅ほどではないにせよ、その需要はあります。 日本が長い歴史のなかで培ってきた「和」の伝統というものが見直されつつあるような気がいたします。 「和モダン」の住宅にせよ、伝統的な「入母屋屋根」の住宅にせよ、「数寄屋造りの家」にせよ、その計画をするにあたっては、「和」に対する深い素養が要求されます。 けれども、戦後から現在の趨勢を鑑みるに、日本人であるから、最初から「和」の素養が身についているとは言えず、先の大戦に敗北したことによる欧米へのコンプレックスから、「和」の文化を忌避して、欧米文化に同化しようとする、あるいは、グローバルスタンダードの普及に伴い、「和」の立ち位置が非常に難しくなっているのが現状だと思います。 そんな日本の趨勢のなかで、「和」の伝統文化を学ぶことは一筋縄ではいかず、腰を据えて取り組むことが非常に重要だと思います。一過性のファッションとしての「和」に留まらぬ覚悟が必要になってくるわけです。 例えば、日本の伝統文化が凝縮されている「茶道」「華道」などは、10年稽古しても、まだまだ先は長いと言われています。それだけ、日本の文化の歴史が長く、奥深い証左なのでしょう。 と言っても、「和」の伝統文化を学ぶのは非常に結構なことなのですが、問題なのは、「和」に耽溺するあまり、見栄張りなスノビズム(俗物根性)に陥りがちになるということです。 例えば、数寄屋造りに関わる薀蓄を例に挙げてみると、「歴史的な茶室や贅を凝らした伝統的な様式美を引き継いでいくことが数寄屋造りであり、坪100万~200万以上出さなければ本数寄屋とは言えない、現在の数寄屋造りのほとんどは、数寄屋風の建物に過ぎない」などというような話が出てくるわけです。 だいたい、数寄屋造りの源泉である千利休の頃の茶室は、当時何処でも手に入った材料で造られており、当時の贅沢品は一切使われていません。つまり、当時では、非常に「現代性」に忠実な造りだったのです。 当時の「型」を真似することと、「和」の伝統文化を継承することを混同するケースが多発しているのが今の日本の現状なわけですが、 私が思うに、「和」の伝統は、「型」、「形」に現れないものだと思っています。 時代の変遷とともに、「和」の表層部分は、移り変わっていき、目に見えるものでしょうけれども、長い日本の歴史における「和の伝統の不変性」は、人それぞれが努力して培っていかなければ、永遠にわかることが出来ないものなのではないでしょうか。 「和の伝統の不変性」と、現在の自分自身が生きていくうえで避けて通ることが出来ない「現代性」の両立こそが、今後、私自身に課せられたテーマであると、私は考えています。
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