設計者の想いの日々(ブログ)
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東北の町並み・建築探訪

旧亀岡家住宅

福島県伊達市にある旧亀岡家住宅は、蚕種製造業を営み、福島県会議員、伊達崎村長などをつとめた亀岡正元氏によって明治30年に建てられた。延床面積は約200坪に及び、外観は洋館であるが、内部は書院造りを基調とした純和風である。黒柿、鉄刀木、花梨、紫檀、数千年経過した阿武隈川の埋もれ木など、銘木がふんだんに使用されており、欅(けやき)や杉材も多用されているが、厳選された材料ばかりである。障子の代わりに、当時貴重であったガラス戸が多用され、「亀岡」の名前にちなんで、床の間に亀の彫り物があったり、書院の格子が亀甲模様だったりするなど、非常に贅を凝らした造りとなっている。
旧亀岡家住宅は、正元氏の子孫の方から旧保原町に寄贈され、平成7年現在地に移築復元された。往時をそのままに、復元の精度は驚くほど高い。福島県指定文化財。




  

  

  

  
カテゴリ:東北の町並み・建築探訪 2014年2月6日(木)

蔵のまち喜多方PARTⅦ~杉山蔵群・新宮熊野神社長床etc

杉山蔵群
喜多方市北部の山間集落である杉山地区には、「腰折れ切妻」「かぶと」などと呼ばれる特色ある屋根を持つ蔵が点在しています。


  

  

新宮熊野神社長床
平安時代末期から鎌倉時代初期に建てられた寝殿造りの建物で、直径45cmの円柱44本等間隔に5列並んでおり、壁・天井・扉はなく、全て吹き抜けになっている。国指定重要文化財。
銀杏の大木は樹齢600年と言われる。


漆器蔵會津野
かつては会津塗りの職人の作業場として利用されていた蔵を、喫茶店兼漆器を販売する店にリニューアルされました。


  

坂内食堂・肉そば
カテゴリ:東北の町並み・建築探訪 2013年12月31日(火)

蔵のまち喜多方PARTⅥ~煉瓦館登り窯・三津谷レンガ蔵群

喜多方市郊外の三津谷地区の煉瓦館に隣接する登り窯は、日本で唯一、現在でも、薪によってレンガを焼成しています。  


ガスの焼成では出せない、喜多方の薪の焼成によるレンガは、色むらが絶妙で、また凍害防止のため、施釉されているのが特徴です。


喜多方の登り窯は、2007年に経済産業省により「近代産業遺産」に選定され、喜多方のレンガも2013年には「グッドデザイン賞」を受賞しました。
  

三津谷レンガ蔵群
若菜家(国登録有形文化財)


  

  
カテゴリ:東北の町並み・建築探訪 2013年12月31日(火)

蔵のまち喜多方PARTⅤ~安勝寺・郵便局・信用金庫etc

蔵のまちである喜多方は、寺、郵便局、信用金庫、公衆トイレに至るまで、まちの景観を守るような蔵の意匠を生かした建築物で造られており、その意識の高さには見習うべきものがあります。

安勝寺  
土蔵造りで造られた、全国的に珍しい喜多方ならではの珍しい寺です。明治13年の大火により旧本堂が焼失したのを、明治29年火災に強い土蔵造りの現在の本堂が建てられました。  


  

喜多方北町郵便局


会津信用金庫喜多方支店


公衆トイレ


カテゴリ:東北の町並み・建築探訪 2013年12月31日(火)

蔵のまち喜多方PARTⅣ~おたづき蔵通り

喜多方市に蔵が4000棟近くあるのは、飯豊連峰からの伏流水と会津盆地で育った米から造る酒、味噌、醤油の醸造に土蔵が最適だったこと、そして、明治13年の喜多方の大火で、土蔵が軒並み残り、その防火性能が評価されていたことなどが挙げられ、喜多方の男は40歳になるまでに蔵を建てられるようにならなければという声も多く、蔵が富の象徴、自己表現の一つとなっていたようです。

今回は明治中期頃建築の蔵が多く残る「おたづき蔵通り」です。


  

  

  

  

  

  
カテゴリ:東北の町並み・建築探訪 2013年12月31日(火)
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