設計者の想いの日々(ブログ)
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永井昭夫
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へたっぴ絵画~川越の街並み

カテゴリ:設計者の日常 2016年12月29日(木)

原稿が掲載されました~建築士(2016年6月号)

(公益社団法人)日本建築士会連合会が発行する「建築士(2016年6月号)」という冊子に、街並みの「景観整備」に関する私の原稿が掲載されています。
私の持論を申し上げると、「建築士」は国家資格ですから、公的に奉仕すべき責務があり、地域貢献に努めるのはごく当たり前のことと思います。「建築士」という資格をもっぱら、自分の仕事のみに利用するだけでは、その責務を放棄しているのみならず、自らの仕事の幅を狭める結果になるのではないかと考える次第です。
カテゴリ:建築士会での活動・広報 2016年6月15日(水)

本日のお詫び

本日、9時53分から18時52分までの間、当事務所へのメールの送信及びホームページへのアクセスが出来ない状況となりましたこと、お詫び申し上げます。
今後、このようなことがないよう、厳重に注意する所存ですので、今後とも御引立てとご鞭撻の程、宜しくお願い致します。
カテゴリ:お知らせ・ご挨拶 2016年3月9日(水)

国産檜の手造り本棚


仕事用の本棚で、知り合いの大工に作ってもらいました。国産檜のみ使用しています。まずは4個作成しましたが、まだまだ作っていきます。

もし欲しい方がいらっしゃいましたら、お売りすることは可能です。
但し、まだ試作品の段階ですので、当事務所と面識のある方に限ってのみ販売致します。
価格は応相談になります。
木の素材感を生かすため、敢えて無塗装品にこだわっています。もちろん本棚以外にも多目的に使用することが出来ます。


1個の内寸 幅440×高さ365×奥行265㎜
オーダー品でも対応可なのですが、高齢の大工が作成しているため、納期は定められません。

今回の手造り本棚の作成の目的は、高齢となり現場仕事がしにくくなった大工の技術を有効に活用していくことです。

あくまで、当事務所は企画・設計・工事監理業務が本業ですので、このような手造り品の販売は細々と…という形になりますので、ご了承下さい。
カテゴリ:建築素材・材料 2016年2月9日(火)

日立と産業革命

苦心惨憺虚(くしんさんさんく)・・・。
日立鉱山の創業者である久原房之助が創業当時を回顧して語った言葉が現在の日鉱資料館、旧久原本部の石碑に残されている。
 
常陸の豪族だった佐竹氏が鉱床を発見してから三百余年、徳川家・水戸藩ですら、どうすることも出来なかった鉱山を久原房之助が買収したのは1905年(明治38年)のことであった。資金難、地域住民や従業員との軋轢、公害等に苦しめられながらも、長州閥の大物である井上馨の援助を受け、機械化を推進、新技術を積極的に導入し、安定的な電力供給のため、現在の日立市の中里、常陸太田の町屋(下の写真の左側)、北茨城市の石岡に発電所(下の写真の右側)を矢継ぎ早に建設した。
 
また亜硫酸ガスの対策として、当時世界一の高さを誇った155.7mの大煙突(現在はその1/3が残る)を建設し、1915年にその使用を開始してからは煙害が激減していった。

このような大胆な施策と時代の好景気の波に乗って、日立鉱山は日本の四大銅山(足尾、 別子、 小坂、 日立)の一角を占めるにまで急成長していった。1905年から1981年の閉山までの76年間に、約3000万トンの粗鉱、約44万トンの銅を算出し、日立鉱山を母体として久原財閥が生まれ、現在のJXホールディングスや日産グループへとつながり、日立鉱山の機械の修理部門から日立製作所が独立して1910年には国産初の5馬力誘導電動機(モーター)を完成させており、日立鉱山を源始とする近代産業は日本の産業革命の一つとして大きな足跡を残している。
カテゴリ:茨城県北の町並み・建築・施設探訪・自然・文化 2016年2月9日(火)
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