設計者の想いの日々(ブログ)
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永井昭夫
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関東の町並み・建築探訪

東京駅

国の重要文化財である東京駅は明治から大正にかけて活躍した建築家(東京帝大教授)である辰野金吾の設計によるものです。
先の大戦により被害を受け、3F部分が撤去されたままでしたが、2012年には無事、開業当時(1914年)の姿に復元されました。






また辰野金吾の教え子である駒杵勤治が明治末期に茨城県内で設計した校舎が土浦一高、太田一高、水戸商業高校の敷地内に現存しており、貴重な文化遺産であるにもかかわらず、PR不足のせいか、茨城県民にも知名度が低いのは残念です。

旧土浦中学校本館(現在土浦一高)


野いばら館(旧水戸商業高校本館玄関部分)


旧太田中学校講堂(現在太田一高)
カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2015年10月14日(水)

川越の町並み・重要伝統的建造物群保存地区その3

その2に続きます。引き続き、早朝の撮影です。

川越元町郵便局
蔵を改造したもので、手前に見える黒いものはポストです。赤は景観を壊すということで、ポストまで黒くなっています。


画像奥:旧八十五銀行本店本館 
1918年建築。鉄骨鉄筋コンクリート造三階建(搭屋・金庫室付き)で、ネオ・ルネッサンス風の建築物は保岡勝也の設計によるもの。現在は埼玉りそな銀行川越支店として利用、埼玉県内で国の登録有形文化財・第一号である。
画像中央:小林家住宅(くらづくり本舗)
見世蔵は1893年大火直後に建てられ、屋根には、まつ毛のような個性ある飾りがついています。敷地奥には、1883年建築で大火に焼け残った「文庫蔵」が残る。川越市指定文化財。


日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂
煉瓦造りの礼拝堂は1921年建築。設計は立教大学新築のため来日したウイリアム・ウイルソン氏である。国の登録有形文化財であり、川越市の「都市景観重要建築物」の指定を受けている。


旧武州銀行川越支店(川越商工会議所)
1928年建築。外観はドーリス式の列柱を配した重厚な構えになるが、全体の意匠はルネッサンス・リバイバル様式とする。交差点側にバロック風の装飾を付けた特徴的な出入口を設けるなど、時代の特徴を伝える銀行建築の一つである。国の登録有形文化財。


旧湯宮釣具店(手打ちそば百丈)
昭和初期に流行した看板建築である。木造3階建・店舗併用住宅で壁は銅板葺きである。石岡市にも多く現存する「看板建築」とは、関東大震災後、東京下町を中心に建てられた、ファッサード(正面)を重視した、商人の粋と見栄の商店建築のことです。1999年に国登録文化財となる。


その他、多くの目を惹く歴史的建造物、街の風景があります。
  

  

  

  

   

  

  
カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2014年8月10日(日)

川越の町並み・重要伝統的建造物群保存地区その2

今回は、川越を街歩きしてみて、目についた歴史的建造物をランダムにご紹介したいと思います。今回も全て早朝に撮影。

時の鐘
川越のシンボルとも言うべき建造物である。江戸時代初期、川越藩主が建造させたのが最初で、当時の庶民の時計代わりであった。1893年の川越の大火で焼失したが、その翌年に再建、6時、12時、15時、18時にそれぞれ時を告げています。


左側:舗やまわ(原家住宅) 右側:刃物商まちかん(宮岡家住宅)
ともに川越市の指定文化財で、明治の大火(1893年)の直後に建てられた。その豪壮さで、メインロードでは、ひときわ目を惹く建造物である。


大沢家住宅(画像いちばん左側)
2階の中央部にある印象的な格子は「土格子」であり、漆喰で塗り固められたものである。この「大沢家住宅」は1792年に建てられ、1893年の川越大火の焼失から免れ、川越最古の蔵造りであり、国の重要文化財に指定されている。


亀屋山崎茶店
千本格子をはめ込んだ京風の繊細なデザインとなっており、この店舗部分は、1893年の川越大火後に新築されたもので、隣接している煉瓦のアーチ門、煉瓦の塀は、明治時代の文明開化の頃の雰囲気を漂わせています。画像には写っていないが敷地奥には1850年の土蔵が残る。


松崎家住宅(松崎スポーツ店)
明治34年建築


亀屋
明治26年建築。見世蔵と袖蔵を併立させた袖蔵形式の蔵造りである。


荻野銅鐡店(おぎの どうてつてん)
1893年の大火直後に建てられた町屋造りの建物である。
カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2014年8月10日(日)

川越の町並み・重要伝統的建造物群保存地区その1

川越は戦災を免れ、江戸・明治時代からの歴史的建造物が集積する地域として知られ、年間600万人以上の観光客が訪れる街です。
江戸時代、川越藩は江戸の北の砦として重視され、非常に多くの家臣を擁し、徳川家に近い親藩・譜代の有力大名が配された。
江戸時代の川越の建造物は、江戸・日本橋の建造物が見本とされる。
川越は栃木市、千葉県佐原(香取市)とともに「小江戸」とも呼ばれる。
城下町で武蔵国の商工農の中心地であった川越は、江戸とは川越街道や新河岸川の舟運で結ばれ繁栄を極め、明治時代になってからも、埼玉県随一の商都・金融の中心地、米取引・穀物集散地として栄えた街である。1999年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

下記の写真は、川越のメインロードである「蔵づくりの町並み」と呼ばれる通りです。昼は車の交通量が非常に多く、観光客も多いため、撮影が非常に難しく、今回は早朝に撮影したものです。













カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2014年8月10日(日)

銀座の街並みPARTⅢ~銀座の街並みの形成

銀座の地名は、1612年に貨幣の鋳造を担った「銀座役所」が、現在の銀座の地に設置されたのが由来で、江戸幕府により、町人地として都市基盤が整備されました。ただ江戸時代当時は、銀細工職人などの「職人の町」としての要素が強かったようです。
明治維新後の1869年と1872年に起こった2度の大火により、大規模な区画整理とジョージアン様式の銀座煉瓦街の建設が行われ、銀座を不燃都市化し、文明開化の象徴的な街にするための政策が行われました。
1923年の関東大震災後、後藤新平による大規模な復興計画を実施し、昭和通りの整備、晴海通りや外堀通りの拡幅が行われましたが、1872年の区画整理時の街並みは残されたままでした。
江戸時代からの長い歴史を引き継ぐ銀座は、戦前からの建物も残され、その代表格として、1932年渡辺仁が設計した、時計台が特徴的である百貨店の「和光本館」が挙げられます。建築された当時は、服部時計店(現在のSEIKO)の社屋であり、時計台四面に時計が取り付けられ、4つの時計はそれぞれ、正確に東西南北の方角に向いています。
外壁は2階までが岡山県産の万成石(桜御影石とも呼ばれます)で、3階以上も御影石(産地不詳)です。
私は個人的に、この「和光本館」が非常に好きで、この建物を見ると銀座に来たと思うと同時に、安堵感を覚えます。
最近の斬新な建物に囲まれながらも、古き良き「和光本館」は、今後も末永く銀座の象徴的な建物として、不思議な存在感を誇示していって欲しいと思います。

和光本館(旧・服部時計店社屋)


路地裏にも、時代を感じさせる個性的な建物が建っています。
  

カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2013年11月5日(火)
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