設計者の想いの日々(ブログ)
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設計者の想いの日々(ブログ)

2014年8月10日(日)

弘道館と西ノ内和紙

震災の災害復旧による昨年の弘道館の改修で、壁に茨城県産の「西ノ内和紙」が使用されているというガセネタが広く流布していますが、常陸大宮市・旧山方町の「西ノ内和紙」の生産元に念のため確認したところ、今回の改修では一枚たりとも弘道館側に卸していないとのことです。
但し、西ノ内和紙の生産元としては、震災復興のため弘道館側に「西ノ内和紙」の寄贈を打診しましたが、弘道館側に拒否された経緯はあります。

現在、弘道館の壁紙は全国的に普及する機械漉きの鳥の子和紙が貼られていますが、江戸末期の創建当時は水戸藩の専売品である西ノ内和紙が貼られていたはずです。
西ノ内和紙は、茨城県北地域の特産品である那須楮の樹皮繊維を原料とした手漉きの楮紙で、350年の歴史を持つ、伝統的な和紙です。
江戸時代には水戸藩の専売品として、広く愛好され、徳川光圀が編纂した『大日本史』も、この西ノ内和紙が使われてきた歴史があり、茨城県と国の無形文化財、また県の郷土工芸品に指定されています。

弘道館の昭和の大修理(昭和34年~38年)の際は、まだ弘道館は文化財に指定されていなかったので、大量生産品である鳥の子和紙に貼り替えられてもやむをえないことだと思います。
しかし、既に国の重要文化財に指定されている今回の平成の修理で、昭和の大修理を踏襲し、西ノ内和紙の生産元側の寄贈の申し出を拒否し、全国的に普及する和紙を使用したことは、致命的に、歴史的考証が足らなかった証左と言えるでしょう。
今回のケースは工事是正レベルであると私自身考える次第です。
カテゴリ:建築文化・伝統 2014年8月10日(日)

川越の町並み・重要伝統的建造物群保存地区その3

その2に続きます。引き続き、早朝の撮影です。

川越元町郵便局
蔵を改造したもので、手前に見える黒いものはポストです。赤は景観を壊すということで、ポストまで黒くなっています。


画像奥:旧八十五銀行本店本館 
1918年建築。鉄骨鉄筋コンクリート造三階建(搭屋・金庫室付き)で、ネオ・ルネッサンス風の建築物は保岡勝也の設計によるもの。現在は埼玉りそな銀行川越支店として利用、埼玉県内で国の登録有形文化財・第一号である。
画像中央:小林家住宅(くらづくり本舗)
見世蔵は1893年大火直後に建てられ、屋根には、まつ毛のような個性ある飾りがついています。敷地奥には、1883年建築で大火に焼け残った「文庫蔵」が残る。川越市指定文化財。


日本聖公会川越キリスト教会礼拝堂
煉瓦造りの礼拝堂は1921年建築。設計は立教大学新築のため来日したウイリアム・ウイルソン氏である。国の登録有形文化財であり、川越市の「都市景観重要建築物」の指定を受けている。


旧武州銀行川越支店(川越商工会議所)
1928年建築。外観はドーリス式の列柱を配した重厚な構えになるが、全体の意匠はルネッサンス・リバイバル様式とする。交差点側にバロック風の装飾を付けた特徴的な出入口を設けるなど、時代の特徴を伝える銀行建築の一つである。国の登録有形文化財。


旧湯宮釣具店(手打ちそば百丈)
昭和初期に流行した看板建築である。木造3階建・店舗併用住宅で壁は銅板葺きである。石岡市にも多く現存する「看板建築」とは、関東大震災後、東京下町を中心に建てられた、ファッサード(正面)を重視した、商人の粋と見栄の商店建築のことです。1999年に国登録文化財となる。


その他、多くの目を惹く歴史的建造物、街の風景があります。
  

  

  

  

   

  

  
カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2014年8月10日(日)

川越の町並み・重要伝統的建造物群保存地区その2

今回は、川越を街歩きしてみて、目についた歴史的建造物をランダムにご紹介したいと思います。今回も全て早朝に撮影。

時の鐘
川越のシンボルとも言うべき建造物である。江戸時代初期、川越藩主が建造させたのが最初で、当時の庶民の時計代わりであった。1893年の川越の大火で焼失したが、その翌年に再建、6時、12時、15時、18時にそれぞれ時を告げています。


左側:舗やまわ(原家住宅) 右側:刃物商まちかん(宮岡家住宅)
ともに川越市の指定文化財で、明治の大火(1893年)の直後に建てられた。その豪壮さで、メインロードでは、ひときわ目を惹く建造物である。


大沢家住宅(画像いちばん左側)
2階の中央部にある印象的な格子は「土格子」であり、漆喰で塗り固められたものである。この「大沢家住宅」は1792年に建てられ、1893年の川越大火の焼失から免れ、川越最古の蔵造りであり、国の重要文化財に指定されている。


亀屋山崎茶店
千本格子をはめ込んだ京風の繊細なデザインとなっており、この店舗部分は、1893年の川越大火後に新築されたもので、隣接している煉瓦のアーチ門、煉瓦の塀は、明治時代の文明開化の頃の雰囲気を漂わせています。画像には写っていないが敷地奥には1850年の土蔵が残る。


松崎家住宅(松崎スポーツ店)
明治34年建築


亀屋
明治26年建築。見世蔵と袖蔵を併立させた袖蔵形式の蔵造りである。


荻野銅鐡店(おぎの どうてつてん)
1893年の大火直後に建てられた町屋造りの建物である。
カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2014年8月10日(日)

川越の町並み・重要伝統的建造物群保存地区その1

川越は戦災を免れ、江戸・明治時代からの歴史的建造物が集積する地域として知られ、年間600万人以上の観光客が訪れる街です。
江戸時代、川越藩は江戸の北の砦として重視され、非常に多くの家臣を擁し、徳川家に近い親藩・譜代の有力大名が配された。
江戸時代の川越の建造物は、江戸・日本橋の建造物が見本とされる。
川越は栃木市、千葉県佐原(香取市)とともに「小江戸」とも呼ばれる。
城下町で武蔵国の商工農の中心地であった川越は、江戸とは川越街道や新河岸川の舟運で結ばれ繁栄を極め、明治時代になってからも、埼玉県随一の商都・金融の中心地、米取引・穀物集散地として栄えた街である。1999年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

下記の写真は、川越のメインロードである「蔵づくりの町並み」と呼ばれる通りです。昼は車の交通量が非常に多く、観光客も多いため、撮影が非常に難しく、今回は早朝に撮影したものです。













カテゴリ:関東の町並み・建築探訪 2014年8月10日(日)
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