設計者の想いの日々(ブログ)
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永井昭夫
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国産檜の手造り本棚


仕事用の本棚で、知り合いの大工に作ってもらいました。国産檜のみ使用しています。まずは4個作成しましたが、まだまだ作っていきます。

もし欲しい方がいらっしゃいましたら、お売りすることは可能です。
但し、まだ試作品の段階ですので、当事務所と面識のある方に限ってのみ販売致します。
価格は応相談になります。
木の素材感を生かすため、敢えて無塗装品にこだわっています。もちろん本棚以外にも多目的に使用することが出来ます。


1個の内寸 幅440×高さ365×奥行265㎜
オーダー品でも対応可なのですが、高齢の大工が作成しているため、納期は定められません。

今回の手造り本棚の作成の目的は、高齢となり現場仕事がしにくくなった大工の技術を有効に活用していくことです。

あくまで、当事務所は企画・設計・工事監理業務が本業ですので、このような手造り品の販売は細々と…という形になりますので、ご了承下さい。
カテゴリ:建築素材・材料 2016年2月9日(火)

日立と産業革命

苦心惨憺虚(くしんさんさんく)・・・。
日立鉱山の創業者である久原房之助が創業当時を回顧して語った言葉が現在の日鉱資料館、旧久原本部の石碑に残されている。
 
常陸の豪族だった佐竹氏が鉱床を発見してから三百余年、徳川家・水戸藩ですら、どうすることも出来なかった鉱山を久原房之助が買収したのは1905年(明治38年)のことであった。資金難、地域住民や従業員との軋轢、公害等に苦しめられながらも、長州閥の大物である井上馨の援助を受け、機械化を推進、新技術を積極的に導入し、安定的な電力供給のため、現在の日立市の中里、常陸太田の町屋(下の写真の左側)、北茨城市の石岡に発電所(下の写真の右側)を矢継ぎ早に建設した。
 
また亜硫酸ガスの対策として、当時世界一の高さを誇った155.7mの大煙突(現在はその1/3が残る)を建設し、1915年にその使用を開始してからは煙害が激減していった。

このような大胆な施策と時代の好景気の波に乗って、日立鉱山は日本の四大銅山(足尾、 別子、 小坂、 日立)の一角を占めるにまで急成長していった。1905年から1981年の閉山までの76年間に、約3000万トンの粗鉱、約44万トンの銅を算出し、日立鉱山を母体として久原財閥が生まれ、現在のJXホールディングスや日産グループへとつながり、日立鉱山の機械の修理部門から日立製作所が独立して1910年には国産初の5馬力誘導電動機(モーター)を完成させており、日立鉱山を源始とする近代産業は日本の産業革命の一つとして大きな足跡を残している。
カテゴリ:茨城県北の町並み・建築・施設探訪・自然・文化 2016年2月9日(火)

謹賀新年・2016年元旦

謹賀新年

旧年中はお世話になりました。今年も宜しくお願い致します。


汐見滝吊り橋~茨城県高萩市
カテゴリ:お知らせ・ご挨拶 2016年1月1日(金)

イメージ戦略重視の時勢を憂慮する

現在、「…風」「…調」のキャッチフレーズで名付けられたイメージ戦略重視の家が巷では多く目立ちます。
自然の素材感を無視し、印刷技術を採り入れた窯業系サイディングの普及と多様化により、「木目調の家」、「塗り壁調の家」、「レンガタイル貼り風の家」、「コンクリート打ち放し風の家」、「南欧風の家」、「ブリティッシュ煉瓦調の家」、「イタリア風の家」、「プロバンス風の家」、「アーリーアメリカン調の家」、「北欧スタイルの家」、あるいは漠然と「輸入住宅風の家」などなど、百花繚乱、全くキリのない様相を呈しています。
私は例えば、ファッション的受容に終始する「イタリア風の家」には全く共感を覚えませんが、自分なりのアイデンティティを持ちながら、イタリアの文化と正面から向き合って、それを消化して、日本に「イタリア風」ならぬ「イタリア」の家を建てようとすることには、地域の風土や景観に問題を抱えたにしても、大きな異議は唱えていません。他国の文化にかぶれた結果として真似っぽくすることは簡単ですが、本当の意味で「真似」するということはその文化を吸収せずには甚だ難しいことだからです。
しかし、現在の日本人でそこまで覚悟を決めて、他国の文化を吸収しようとする者がどれだけいるのでしょうか?ファッション的受容に対して何の疑問を思っていない者が大半でしょう。表面的なイメージだけをキャッチして、本物の文化に触れようともしない者が建てる家は一過性のファッションに過ぎず、数年で飽きがくることは目に見えてまして、日本国憲法25条にある「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という条文にて、物質面ではなく、精神面での「文化的で最低限度の生活」を自ら放棄しているように感じます。
もし他文化に向き合う気概がないのであれば、知らず知らずのうちに慣れ親しんできた日本の「和」の文化の原点に戻ったほうが自然だと思います。
いずれにしましても、当設計事務所の方針としましては、先に述べたイメージ戦略重視ではない、自然の素材感を生かした、文化的価値のある建築を目指していきたいと考えています。
とは言えども、当事務所のお客様が最初からファッション的受容から逃れられているかと言えば、必ずしもそういうわけではありませんから、打合せを重ねて、当事務所の想いを少しずつ伝えていき、ご理解を深めて頂けるよう、常日頃、努めています。
かくいう当事務所を主宰する私自身もファッション的受容と完全に決別出来てるかと言えば、そうではないと思います。従いまして、私が仕事をするということは自分自身との格闘でもあります。
カテゴリ:当設計事務所の姿勢・信条 2015年12月30日(水)

小野家住宅・暇修館~日立市

小野家住宅

日立市に残る貴重な茅葺きの民家です。母屋と厩(馬屋)がL字形に一体化していることから「曲り屋」と呼ばれます。この形式の建物は全国各地に分布しますが、茨城県では北部一帯から太平洋沿岸にかけての地域に多く存在しました。小野家はかつて水戸藩の村役人・横目庄屋を代々担ってきました。建築年月は18世紀前期と推定されます。茨城県指定文化財。

暇修館

水戸藩に設立された十五の藩校のうち五番目に古い「暇修館」は1839年、徳川斉昭によって、元の大窪城郭の一部に設立されました。ちなみに同じく水戸藩校だった弘道館は1842年の設立です。その後も学校として利用されてきましたが、老朽化のため惜しくも昭和39年に解体されました。昭和48年、設立当初の間取り図を元に忠実に復元され、現在、生涯学習の場として活用されています。
カテゴリ:茨城県北の町並み・建築・施設探訪・自然・文化 2015年11月25日(水)
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