設計者の想いの日々(ブログ)
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永井昭夫
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設計者の想いの日々(ブログ)

建築雑感

床の間を考える

ひたち海浜公園に移築復元された古民家の床の間です。





古来、日本の和室の床の間には掛け軸がかけられ、家人が花を生けて自然を採り込んで、来客の際にはお客様をもてなしていました。
しかし、そんな風習も現代では次第に薄れ、床の間が形骸化し、和室に床の間がない家も増えました。床の間の代替として、リビング・ホール・廊下などに飾り棚などのスペースを造ることもしない全く精神的余裕がない家が多い現実は、現代の貧困な住宅文化を象徴していると言っていいでしょう。現在と比較して、決して物質的に豊かではなかった昔の家の床の間には、日本の文化が息づいていました。
住宅が「日本家屋」から「商品」に変質し、「文化」より「利益」を優先するようになった今日この頃、一人の設計者として、喪失しつつあるものを復興していくのが私自身の役目であると考えています。
カテゴリ:建築雑感 2010年10月18日(月)

建築するにあたって土地を把握することの重要性

建築物を設計するにあたって、設計者が建築予定地を下見することは「建築のイロハ」です。もちろん、当設計事務所もお客様の敷地に実際に足を運ばずに設計することはいたしません。敷地の調査報告書を設計者以外の者が作成し、設計者がそれを元に、実際に敷地に足を運ぶことなく設計業務を行うことも「建築のイロハ」から逸脱していると思います。

「土地」というものは、分譲地であろうが、市街地や郊外、田園地帯に位置しようが、如何なる場合でも、「土地」を取り巻いている環境があり、「土地」そのものが抱える固有の性質があります。「土地」の大きさや形、接道方向、高低差、日照の問題、周辺の建物や景観など、それぞれ「土地」の条件は違います。これらの問題を総合的かつ直感的に把握するためには、設計者が実際に建築予定地へ足を運ぶ以外に方法はないはずです。
そして、「土地」は自然の一部であり、自然のなかの大地ですから、その大地がどのような建築物が建つことを望んでいるのか、大地に実際に立って歩き回ることで、大地の声に耳を傾ける必要があります。
こうして設計者は、「土地」の全体像を把握しながら、お客様自身がどんな条件を抱えて、建築物の要望がいかなるものかをヒアリングし、設計者の思想を加味して、設計業務を進めていきます。このように、設計をするにあたっては、「土地」というものは非常に重要な要素の一つになるわけです。

ところが、現在の情勢として、「土地」の全体像を把握することなく、「土地」を自然のなかの大地として捉えない傾向が強いため、商品化された建物を微調整して、ただ置いただけのような計画が多くなり、周辺の景観にそぐわない建物が乱立するに至りました。特に、田園地帯に建てられる単調な柄物サイデイングの文化住宅に至っては直視に耐えられません。
よく、日本の電柱や看板広告が街並みの景観を悪化させていると云われますが、いちばん悪化させているものは安易に築造された建築物の数々だとと思います。単に化粧した箱を建てることだけが建築だとしたら、それは既に文化が破壊されてしまっています。

また、「土地」を軽視する傾向の一つの現象として見受けられるのが、「土地」が決まっていないにもかかわらず、請負契約を結ぶ住宅会社や工務店が存在していることです。
工事の請負契約とは、どこの場所に、どのような建物を、いくらの金額で、いつまでの期限に建築物を建てますということですから、「土地」が決まっていない請負契約は架空のでっち上げの契約に過ぎません。「土地」の候補地すら決まっていないのに、とりあえずお客様の話を聞いて図面を書いてしまって急いで請負契約を締結しようとする行為は悪徳商法の一つです。

それから、お客様が「土地」を探されている場合、お客様が漠然と持っている建物のイメージに合っている「土地」かどうかのご相談を積極的に私たち設計者にして頂きたいと思っています。「土地」が全く未定であれば図面を書くことはできませんが、候補地があるのであれば、設計者としてお手伝いさせて頂くことは可能です。

設計者の一人として、「土地」が持っている固有の性質を軽視することなく、「土地」を自然の一部として捉えて、建築物を造り上げていく重要性を今後共、強調していきたいと私は考えています。
カテゴリ:建築雑感 2010年10月10日(日)

数寄屋造りの家

数寄屋造りの建築物は千利休の頃の茶室を起源とするものから発展した建築様式で、その歴史は400年に及びます。
古い歴史的な茶室や贅を凝らした伝統的な様式美を真似することが数寄屋造りであるという誤解がどうも世間には生じていて、「最低でも坪80~100万はかかる、否、200万以上出さなければ本数寄屋とは言えない、京都の北山杉を使ってこそ数寄屋だ」というような薀蓄がまかり通っていますが、それは全て嘘八百であります。数寄屋造りとは伝統的な様式美に耽溺するものでなく、決して固定化されない、もっとフレキシブルなものであります。
伝統文化の一つである華道は、最大流派で550年の歴史を持つ「池坊」において、伝統と格式が重んじられているのは決して間違いではありませんが、この550年の「池坊」の伝統というものは新しいものが次から次へと生まれることによって造り上げられてきたものであって、伝統の様式美に耽溺するだけで終わっていたら、既に「池坊」は現代には無かったことでしょう。

前置きはこの辺にしておいて、私の考える数寄屋造りの定義をまとめてみました。

①四季の変化に富んだ日本の伝統的な風土を尊重してその精神性を引き継いでいること
②畳敷きのある和室と床の間があること
③屋根の庇を深くし、自然の光を採り込みながらも内部の空間に陰翳と静謐さをもたらすこと
④ハウスメーカーやビルダーによって商品化されることなどの要因により自由闊達さが失われてしまっていないこと
⑤外部的にも内部的にも自然との共生を図れること
⑥虚飾を排し、飽きのこない経年変化を楽しむ造りとすること

以上の要素を満たせば、数寄屋の建築物を設計することができると私は考えています。

数寄屋の起源と言われる千利休の頃の茶室は、当時何処でも手に入った材料で造られています。屋根は藁葺き、壁は土壁で荒壁のまま、床柱はその辺にいくらでもあった無価値に等しい曲がりくねった雑木で、当時の贅沢品は一切使われていません。茶の湯の大成者として千利休は、何も削るものがないところまで無駄を省いて、茶室に緊張感を作り出し、意匠的には自由闊達であり、「にじり口」を考案しました。

このような千利休の精神性は、伝統の様式美に耽溺して「本数寄屋造りは坪云百万」也という現代の薀蓄と相容れないことは言うまでもありません。
物質は貧しくても、自由闊達な精神性を忘れず、心は豊かに持ち、お客様を「一期一会」の精神でもてなせる空間こそが「数寄屋造り」の原点であると私は考えています。
長くなりましたので、「数寄屋」の話はまた別の機会に別の視点でお話したいと思います。
カテゴリ:建築雑感 2010年9月28日(火)

一期一会

建築士の資格の有無の論議はさておいて、住宅の設計はいちおう、誰でもこなすことができるという意味では簡単です。とにかく実例はいくらでもあるのですから、その辺のプラン集を買ってくるなり、ネットで引っ張ってきて、ちょっと修正したり、過去の自分の実績例とほとんど同じものをお客様に提出してお茶を濁すケースが後を絶ちません。そういう安直な方法で設計を行っていると、何回打ち合わせしても、なかなかプランが決まらないことも多いようです。

そういう私も駆け出しの頃はプランがなかなか決まらず苦労したものです。敷地の条件はみな違う、お客様の価値観やライフスタイル・予算もみな違う、さらに輪をかけて法的規制が厳しい東京・神奈川では、なかなかお客様の希望に添えず、何度となく頭を抱えました。
そうこうするうちに、お客様が何を要望しているのか、お客様の取り巻く条件というものが次第に見えてきて、何十回と書き直すことが当たり前だった状況から、最近では、その後、微調整は何回かあったとしても、2~3回で平面・立面の骨格が決まることも決して珍しくなくなりました。某ハウスビルダーなどで半年以上、間取りが決まらなかった案件が当事務所では2週間程度で決まったこともありました。

未熟な設計者が何度もお客様と打ち合わせを重ねていると、お客様もわけがわからなくなり泥沼にはまります。要点を的確に押さえない打ち合わせはマイナスにはなっても、プラスには決してなりません。後々のトラブルの元にもなります。
私の個人的見解として、設計者の能力の差、行ってきた仕事の質はあるにせよ、注文住宅は最低50~100軒の設計業務を行わなければ、お客様の要望を引き出して、臨機応変に対応し、かつ設計者の思想を反映し、実行可能なそれなりのお客様の予算に納められるような設計を行うことは難しいと思います。
とにかく、100軒あったら、100軒みな条件がそれぞれ違うのですから、最低の場数は必要です。アパートや建売住宅とは訳が違います。
職人の世界でもそうです。左官職人は何年も壁を塗ることで一人前になります。料理の世界でも、一流の料理人が素材の良さを引き出し、自分なりのこだわりの味付けができるまで、それなりの場数が必要でしょう。いくら才能があっても、最初から頭角を現す人間はいません。

そして、100棟の住宅の設計の経験があったとしても、「ルーティンワーク」となって、「一期一会」の気持ちが無くなったら、進歩は無くなります。進歩どころか、お客様に満足できる建築物も提供できなくなり、時代の要請として、設計業界からの退場宣告もされかねません。「基本」に帰って、また「無」の状態に戻って、新しい気持ちで、お客様の要望を聞き、取り巻く条件を把握し、緊張感をもった設計の仕事をすることが常に大事であると私は考えています。
カテゴリ:建築雑感 2010年9月11日(土)

完成予想図(パース)の重要性

設計期間中に、計画している住宅の建築物をお客様にプレゼンテーションする場合、1/100~1/50の建築物の模型を作成したり、完成予想図として、カラーパースを描いたりする作業を設計事務所は、打ち合わせや最終的な確認のために行います。

これは私の意見ですが、1/100~1/50のような小さな模型を検討する場合、必然的に上部から模型を俯瞰することになります。実際に出来上がった建築物を上部から俯瞰する機会は、近隣の高いビルの屋上などから眺める、あるいはヘリコプターに乗って、望遠鏡で建築物を観察するなどしない限り、ありえないわけで、このような模型が事実上、お客様にどれだけ役に立っているか、私は疑問に思っています。

対して、完成予想図であるカラーパースですが、地面に人間が立ったときの目線の高さで見上げた状態で描きますので、実際に出来上がった建築物とカラーパースとのイメージの隔たりはほとんど生じません。
但し、CG(コンピューターグラフィック)でカラーパースを描いた場合、機械的で非人間的な冷たい印象があり、完成度の低いものが大多数です。
お客様は美意識を持って、それぞれの感性でパースを見ていくわけですから、美意識や感性を持った設計者の意図を正確に汲んだ者が描く手書きのパース、及び、CGと手書きが融合したパースでなければ、役に立つことはないと思います。
人間が建築物などを眺める行為は必ず、美意識や感性などのフィルターを通じて行われるという事実を忘れてなりません。

大規模建築物の場合は、設計者自身の確認作業としての模型作成は非常に重要で必須ですが、住宅のような小規模な建築物の場合は、設計者の頭の中に建築物の形が明瞭に出来上がっていなければ、設計者たる資格はありません。住宅の場合、模型作成より、むしろディテール(細部)の詰めがとても大事です。

最後に、完成予想図としてのカラーパースと実際に出来上がった建築物の実例を紹介いたします。


坪庭と渡り廊下のある吹抜の心地よい自然素材の家





シンプルモダン平屋の家


カテゴリ:建築雑感 2010年9月8日(水)
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