設計者の想いの日々(ブログ)
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設計者の日常

商店街の案内看板



商店街でよく見かける、この古ぼけた案内図というか看板は誰が所有し管理しているのか?
それを突き止めるために、今日は小1時間費やしました。
まず、この案内看板は土浦市所有地(土浦市中央1丁目・中城通り)のスティールフェンスに付属している。
再来週にはこのスティールフェンスを撤去して、板塀化するための基礎工事に着手しなければならない。
したがって、この案内看板の所有者もしくは管理者に断りを入れる必要がある。
最初は、土浦市が商店街のために作成もしくは管理している善意の案内看板であると考えて、
この市有地の管理元である土浦市商工観光課に問い合わせてみたところ
全く心当たりがないとの返答、総務課の住居表示の担当が知っているのでは?ということで、
総務課住居表示係に行ってみても、全く管轄外とのこと、都市計画課が管理しているかも?ということで、
都市計画課に行っても首をかしげるばかり、観光協会に聞いてみては?ということで、
行ってみたら、区長か商店街の○○さんに聞いてみては?ということで、
区長は全く知らず、商店街の○○さんに聞いて、やっと謎が解けました。
こういう看板を作っては無断でその辺に貼りだして、看板料の名目でしつこく集金に来る業者がいるらしいのです。
つまり、今回のケースは所有者である土浦市に無断で看板を勝手に貼り出して、
風采の上がらない年配のおじさんを集金人に仕立てて、商店街から集金する業者があるということです。
もちろんこの案内看板に連絡先など書いていません。
893のフロント企業の可能性が高いだろうと個人的には推測しています。
さて、この案内看板をどう処理するか、工事着工まで楽しみながら考えたいと思います(^o^)
カテゴリ:設計者の日常 2014年10月16日(木)

博多長浜ラーメン

長浜ラーメン~田中商店(足立区一ツ家)


本格的なトンコツラーメンである、長浜ラーメン(博多長浜ラーメン)が東京に進出してきたのは1980年代後半に遡る。
世田谷区の下北沢から程近い環七沿いに「なんでんかんでん」が開店したのである。
後年、TV番組「マネーの虎」にレギュラー出演した川原氏が故郷の長浜ラーメンを東京にも広めたいという志のもと、旧友の岩佐氏を誘って始めた店である。この店から東京の長浜ラーメンの隆盛が始まったと言えるだろう。
私は1989年頃から下北沢近郊に住んでおり、この店まで自転車で約5分程度であり、足繁く通ったのである。
「なんでんかんでん」は開店当初は閑古鳥が鳴くような店で、周囲に豚骨臭をまき散らし、近隣からクレームが来るような有様だった。川原氏や岩佐氏は、時々ラーメンを食べに来る私の顔色を窺い、今日のスープの出来が悪かったのかな?と心配そうな顔をすることもあった。
川原氏は厨房には立つことはあるものの、まともに調理をしているのをみたことがないので、その辺は素人だったのだろう。どちらかというと店を盛り立てる営業の役に徹していた。時にはウルトラマンの着衣を来て店に乱入することもあった。
一方、岩佐氏はフランス料理のコックだったこともあり、厨房の仕切りは間違いなく岩佐氏であった。
豚骨ならではの濃厚さ・脂っぽさがありながら、フランス料理のような上品さですっきり仕上げる「なんでんかんでん」のラーメンの虜になるまで、さほど時間はかからなかった。
1990年代に入り、数十人の行列を成すマスコミを賑わすような繁盛店になってからは、並ぶのがかったるいので、店に行く回数は減ったが、90年代半ばに下北沢から引っ越しするまで定期的に通い続けた。
1990年代後半に入り、「なんでんかんでん」の味が落ちたという噂が入った。なんのことはない調理の要だった岩佐氏が店を辞め、「御天」という店で独立したのである。最近でこそ、「御天」には顔を出せていないが、最盛期の「なんでんかんでん」の味を食べさせてくれる店であった。しかし営業的手腕に劣ったせいか、「なんでんかんでん」ほどの繁盛は見ていない。
現在の長浜ラーメンの店は都内に数十あると推測されるが、まずだいたい、その系譜を辿ると「なんでんかんでん」「御天」に行き着くようである。足立区の「田中商店」は「金太郎」という店の店主になってから独立したが、金太郎は「なんでんかんでん」の従業員であった。墨田区の「よかろうもん」も同様である。
そして、現在は「田中商店」からも数多くの者が独立して店を構えているようである。
関東の者にも本場の長浜ラーメンを提供する礎を作った川原氏、岩佐氏には感謝の念に堪えない。そして茨城県にも「田中商店」「御天」と並ぶような店が出来ることを希望する次第である。
カテゴリ:設計者の日常 2014年9月11日(木)

へたっぴ絵画~水彩画その1

カテゴリ:設計者の日常 2014年8月30日(土)

甲州印伝

甲州印伝の名刺入・亀甲模様(右側)

鹿のなめし革を、黒・紺・茶・ワイン・エンジなどに染色し、荒裁断したあと、型紙(和紙)をのせ、上から漆で模様付けし、数日間陰室(むろ)で乾燥させたものです。甲州印伝は「経済産業省大臣指定伝統的工芸品」に指定されています。6年間使った結城紬の名刺入(左側)は、だいぶ傷んできましたが、捨てるのも勿体ないので補助的に利用します。どちらも水戸・南町三丁目の工芸デパートで購入しました。
「印伝」とは、印度伝来を略して印伝となったと伝えられ、四百余年の伝統を誇る鹿革工芸品です。
鹿革に模様をつける革工芸は、奈良時代に作られた文庫箱(東大寺蔵・国宝)などにも見られ、また戦国武将の鎧(よろい)や兜(かぶと)などを煌びやかに飾りました。江戸時代になると、鹿革に漆付けをする技法が創案され、これが甲州印伝の始まりです。
江戸後期に数軒あったといわれる印伝細工所は、時の流れの中で、現在、甲府の「印傳屋勇七」だけが残っています。
カテゴリ:設計者の日常 2014年4月12日(土)

画家 川澄淳 個展

水戸市千波在住の画家である川澄淳先生の個展が銀座で開催されました。















僕は、僅かな支持者と理解者に囲まれ、人にあまり会わず、誰にも知られず、絵を描く。絵画表現を意識した生活を送り、感性を頼りに年月をかけ、意図的に企て創り上げた空間に身を置き、歴史の中での仕事を成し遂げようと試み、深く〱美の中に身を沈め
一枚ノ絵ニ自分ノ人格ヲカケル。
川澄 淳

画家 川澄淳 リューシュブンカムラ
カテゴリ:設計者の日常 2013年11月3日(日)
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